今週のみことば
3月22日
「あなたの目は、からだのあかりである
あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが
目が悪ければ、からだも暗い
だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい
もし、あなたのからだ全体が明るくて
暗い部分が少しもなければ
ちょうど、あかりが輝いてあなたを照らす時のように
全身が明るくなるであろう」
(ルカによる福音書11章34-36節)
わたしたちの目が神さまを正しく見ることができれば
今なすべき正しい行動を認識することができますが
もし正しく見ていない(見方が間違っている)ならば
教えられたことも理解できず
自分で自分を持て余してしまうような
不安な状況に陥ってしまうことでしょう
まずは心の内にある光が消えていないか調べてみなくてはなりません
この「光」とは
神ご自身であり、希望の光です
教会へ集うのは
それを調べるためでもあり
心の中が暗くならないためにどうすればよいのかを
みことばを通して教えられていくわけです
「『やみの中から光が照りいでよ』と仰せになった神は
キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために
わたしたちの心を照らして下さったのである」
(コリント人への第二の手紙4章6節)
こうして神の栄光を心の内に取り込む者がクリスチャンであり
月が太陽の光を反射して輝くように
わたしたちも自らが光るのではなく
神の光を反射して輝かされるのです
それはただ外観をとりつくろうものではなく
内側から神によって整えられていく世界です
神はわたしたちを愛してくださり
またわたしたちも神を愛しているわけですが
「神の愛」と「人の愛」では雲泥の差があることは
はっきりとその現実を悟るべきでしょう
人はどう頑張っても全く正しく生きることなどできませんし
愛にも限界があります
そんな弱い人間であっても神さまは愛して救ってくださったということを認識し
神を愛する者には
この先ずっと神の愛を得て生きていける希望が与えられること
これが「心の内の光が輝いている」状態です
「あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって
あなたがたの心の中を照らすまで
この予言の言葉を暗やみに輝くともしびとして
それに目をとめているがよい
聖書の予言はすべて自分勝手に解釈すべきでないことを
まず第一に知るべきである
なぜなら、予言は決して人間の意思から出たものではなく
人々が聖霊に感じ
神によって語ったものだからである」
(ペテロへの第二の手紙1章19-20節)
悩みや迷いといった暗やみから開放されるために
わたしたちは神のみことばを指針とし
神に希望を置いて進んでいくべき者とされています
みことばは常に人を活かすためのものですが
ここに人間の勝手な解釈が入ってくると
無駄な議論の対象となり
人を活かすこととは程遠い状態になってしまうので
この点は注意が必要です
信仰の世界は
ただ神を信じて従っていくものです
今、自分が置かれているところを良しとし
そのまま希望をもって祈って進んでいくところに
必ず神の助けと平安があるのです
聖書のみことばは
ただ知識として持っておくものではなく
この先一体どうなるのかと不安に陥った時でも
みことばが力となって心の中に生きてきて
それが心のともしびとして働き
希望に結びついていくところに意味があるわけです
そして
聖書のみことばを生きた言葉として伝えるところが教会であり
もしよくわからないことがあれば
無理してわかったふりをするのではなく
素直に尋ねてみることも必要です
信仰するにあたっては格好をつけるのは厳禁で
正直で素直であることが一番大切ですし
わかっていないのだと認めることも
わかろうとする姿勢も非常に重要で
信仰はすべてここからスタートするのです
難しい話はわからなくても
神を崇める心を持っていれば
神は光を与え
やがてどう生きればいいのかわかるようにして下さいます
そうなればどんなところでも神と共に歩みだせるというものです
「正しい者の道は、夜明けの光のようだ
いよいよ輝きを増して真昼となる
悪しき人の道は暗やみのようだ
彼らは何につまづくかを知らない」
(箴言4章18-19節)
この奸悪な世の中にあっても
神にある者はなお明るい中を歩んでいくことができます
心の中の光が消えていないかどうか省みながら
これからも神を信じ
正しい道を教えられて進んでいきましょう
<目次