今週のみことば


4月5日

「そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて言われた
『こう、しるしてある
キリストは苦しみを受けて
三日目に死人の中からよみがえる
そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔い改めが
エルサレムからはじまって
もろもろの国民にのべ伝えられる
あなたがたはこれらのことの証人である
見よ、わたしの父が約束されたものをあなた方に贈る
だから、上から力を授けられるまでは
あなたがたは都にとどまっていなさい』」
(ルカによる福音書24章45-49節)

復活後、イエスは弟子たちの前に現れて
聖書に記されていることを彼らがわかるように
その心を開いて以下のように語りました

イエスが十字架にかかって復活すること
それからイエスの名による罪の許しの悔い改め=洗礼による救いが
もろもろの国民にのべ伝えられること
そして、弟子たちはこのための証人となること
更に、これから神が約束されたもの=聖霊が与えられること
この聖霊によって上からの力が与えられるまでは
都にとどまっておくべきこと

かくして弟子たちはその言葉に従い
やがて聖霊降臨日にいたって聖霊のバプテスマを受けた後は
上からの力を得て
勇ましくキリストをのべ伝えるために出て行きました
彼らはそれまでは弱く疑い深い者でしたが
この聖霊が彼らを強くし
使命にまい進させたのです

わたしたちひとりひとりも
愚かで小さな者ではありますが
神に用いられることで
サタンとの戦いに勝利できる力を得ることが出来ます
それを、自らダメと判断し
出来ないと決め付けてしまうのは
上からの力を否定してしまうことになります

「わたしたちは神から出たものであり
全世界は悪しき者の配下にあることを知っている
さらに、神の子が来て
真実な方を知る知力を
わたしたちに授けてくださったことをも知っている
そして、わたしたちは真実なかたにおり
御子イエス・キリストにおるのである
このかたは真実な神であり、永遠の命である」
(ヨハネ第一の手紙5章19-20節)


洗礼と聖霊のバプテスマを受けて救われた者は
「神から出たもの」であり
悪しき者の配下にあるこの世の支配から逃れたものです
また、イエスによって「真実なかた=神」のことを知り
更に、「イエス=真実の神」であることを知りました
ここにははっきりと「イエスは神である」ことが記されています

「愛する者たちよ、すべての霊を信じることはしないで
それらの霊が神から出たものであるかどうかためしなさい
多くの偽預言者が世に出てきているからである
あなたがたはこうして神の霊を知るのである
すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は
すべて神から出ている
ものであり
イエスを告白しない霊はすべて神から出ているものではない
これは、反キリストの霊である」
(ヨハネ第一の手紙4章1-3節)


血を流すことのできる「肉体」を持たない神が
マリアの体を通して「肉体」を持って生まれたのがイエス・キリスト
そして
罪のない神が十字架上で清い血を流し
その血にあずかる救いが洗礼のバプテスマです
これはヘブル人への手紙9章22節に
「血を流すことなしには罪のゆるしはあり得ない」とあるように
イエスは多くの人の罪をのぞくために
一度だけご自身をいけにえとして捧げたのでした

「世に勝つ者はだれか
イエスを神の子と信じる者ではないか
このイエスは
水と血とをとおってこられたかたである
によるだけでなく
水と血によってこられたのである
そのあかしをするものは御霊である
御霊は真理だからである
あかしするものが三つある
御霊と水と血とである
そしてこの三つのものは一致する」
(ヨハネ第一の手紙5章5-8節)


神であるイエスは
「血」を流す肉体をもって生まれてこられ
「水」のバプテスマを与え
さらに神ご自身の「聖霊(御霊)」がイエスの昇天後に与えられます
「御霊と水と血」
人々に罪の許しの救いを与えるために洗礼と聖霊を与え
血(肉体)を持ってこの世に来られた方がイエス・キリスト
つまり
人々にこの「御霊と水と血」をもってくる方こそ
救い主であることを表しています

「悔い改めなさい。そして罪の許しを得るために
イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい
(使徒行伝2章38節)

「キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは
彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである
すなわちわたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって
彼と共に葬られたのである
それはキリストが父の栄光によって
死人の中からよみがえらされたように
わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである」
(ローマ人への手紙6章3-4節)


「神の子を信じる者は、自分のうちにこのあかしを持っている
神を信じない者は、神を偽り者とする
神が御子についてあかしせられたそのあかしを
信じていないからである
そのあかしとは
神が永遠のいのちをわたしたちに賜り
かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである
御子を持つ者はいのちを持ち
神の御子を持たない者はいのちを持っていない
これらのことを書きおくったのは
神の子の御名を信じるあなたがたに
永遠のいのちを持っていることを悟らせるためである」
(ヨハネ第一の手紙5章10-13節)


「神の子を信じる者」とは
自分のうちに「御霊と水と血」のあかしを持っている者
すなわち
イエスは神が肉体を持ってこられた方であることを知り
イエスの名による洗礼と聖霊のバプテスマを受け入れた者です

こうしてイエスがキリストであることを信じたわたしたちは
「世に勝つ者」となりました
それはどんな境遇の中に置かれても希望を失わず
世の中の戦いに打ち勝っていく者です
「なぜなら、すべて神から生まれた者は世に勝つからである
そして、わたしたちの信仰こそ
世に勝たしめた勝利の力である」(4節)


使徒行伝16章14-15節において
パウロたちの語る言葉を信じて
自分も家族もバプテスマを受けて救われたルデヤは
彼らを家に招いて泊まるようにと懇願します
その前にルデヤは神から心が開かれていたので
彼女は救われた後
もっと神について話を聞きたいと思ったのでしょう

聖書の教えを聞いた時
「なるほど」「そういうことか」と思わされるのは
神が心を開いてくださっているからです
そのチャンスを逃すことなく真理(=神)をつかもうとすること
また、一度つかんだ真理を手放さないようにすることは大切です

こうして神についていよいよ深く知り、確信を強め
その確信がいかなる時も神が助けてくださるとの信仰となって
日々の暮らしに平安が与えられます
ただ洗礼を受けたらそれだけで終りというのではなく
信仰が養われるように
教会に集い、聖書を教えられ
信仰生活を送っていくのがイエスにある者=クリスチャンです

使徒行伝26章16節にて
「さあ起き上がって、自分の足で立ちなさい」
こうパウロに命じたイエスは
彼を選んで救い
改めてイエスを証する者として国民と異邦人に遣わしますが
その目的は
「彼らの目を開き、彼らをやみから光へ
悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ
また彼らが罪の許しを得
わたしを信じる信仰によって
聖別された人々に加わるためである」(18節)

と記されています

今イエスにあるわたしたちもまたパウロと同じように
自分の状態がどうであって
まず神の言葉に従ってしっかりと自分の足で立ち
周りにある多くの迷う人々に対して
彼らの目が開かれてイエスを信じ
闇から光へと向うようになるために
わたしたち自身が神の証人として
神にあって正しく成長していかなくてはならないのです

聖霊を受けるまでは力も勇気もなかった弟子たちが
聖霊を受けて後は人が変わったように
死をも恐れずイエスをのべ伝えていったように
わたしたちも自分にとって「死」と思えるような様々な不安感を
信仰によって取り除かれるべく
日々の戦いに勇ましく立ち上がっていきましょう

自分は弱いからダメと思わず
神と共にあれば大丈夫だとの確信を持って生きる生き方が
必ずひとりひとりを強くします
せっかく神によって心開かれてきた人生ですから
いよいよ心を神に向け
希望を持って進んでいきましょう



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