今週のみことば
4月12日
「この病人はイエスに答えた
『主よ、水が動く時に
わたしを池の中に入れてくれる人がいません
わたしがはいりかけると
ほかの人が先に降りて行くのです』
イエスは彼に言われた
『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』
すると、この人はすぐにいやされ
床を取りあげて歩いて行った」
(ヨハネによる福音書5章7-9節)
エルサレムの羊の門のそばに”ベテスダ”と呼ばれる池がありました
そこには時々神の使いが降りてきて水を動かしますが
その時一番に水に入った人は
どんな病気でもいやされたので
そこでは大勢の病人が水が動くのを待ち構えていたのでした
そんな中に38年間病気で悩む人があり
その人に向ってイエスは『なおりたいのか』と尋ねます
38年も病気なのですから治りたいのは当然のことですが
あえてそういう質問をされた彼は
『誰も自分を池に入れてくれない』と愚痴を言いました
そんな彼にイエスは言われます
『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』
そして彼はいやされ
イエスの言葉に従って床を取りあげて歩いていきました
当然の質問をするイエスと
それに素直に答えず愚痴を言う病気の人
”誰も自分を助けてくれない”との思いは
人が何かをしてくれるのを待っている消極的な感覚であり
自ら神の働きを求めようとする前向きなものではありません
そんな彼にもイエスは病のいやしを与えますが
癒された後、彼はいつまでも床でぐずぐずすることなく
イエスの言葉に従って立ち上がって歩き出しました
こうして彼は38年間の病から解放されたのです
信仰の基本は「求めて」「従う」ことです
癒されたい、救われたいとの思いを素直に神に向け
神の言葉を聞いて敏感に反応し
その言葉に従って自ら行動すること
自分の足でしっかり信仰に立とうとすることが大切です
38年間病気に悩む人にイエスがあわれみをかけられたように
わたしたちクリスチャンは
言わば最もあわれむべき存在として神から目をかけていただき
救っていただいたのです
決して自分が立派なのでもなんでもなく
ただあわれみによって今日があることを忘れてはなりません
ところが
救いにあずかったことによって変な優越感を覚え
クリスチャンであることを特権のように勘違いをしている人があります
このような傲慢な思いを持っていると
それが自然と態度に現れ
「キリストにある者」としての品位を損なってしまいます
ただ表面的なものをつくろうのではなく
「キリストにある者」にふさわしい人間性を養うために
救われた後の「神に従う」という行為は必須です
ベテスダの池でイエスによって癒された病人は
はじめそれがイエスであることを知りませんでした
それは、そこに多くの群衆がいて
イエスはそっとその場を離れて姿を隠したからです
聖書における「群衆」は
信仰心ではなく興味本位でイエスを見ている人々です
そういう人々の声に惑わされると
イエスの姿を見ることも知ることもできません
また
その中でもイエスに反対するユダヤ人たちは
『安息日に床をとりあげるのはよくない』と
的の外れたことを言い出すのでした
更に彼らは
イエスが安息日を破っただけでなく
神を自分の父と呼び
自分を神と等しいものとされたことに怒り
イエスを殺そうと計るようになっていきました
「彼らはイエスに言った
『あなたの父はどこにいるのか』
イエスは答えられた
『あなたがたは、わたしをもわたしの父をも知っていない
もし、あなたがたがわたしを知っていたならば
わたしの父をも知っていたであろう』」
(ヨハネによる福音書8章19節)
こうしてイエスご自身が
自分を神であると語った箇所はいくつもあります
「そこでピラトはイエスに言った
『それでは、あなたは王なのだな』
イエスは答えられた
『あなたの言うとおり、わたしは王である
わたしは真理についてあかしをするために生まれ
また、そのためにこの世にきたのである
だれでも真理につく者はわたしの声に耳を傾ける』
ピラトはイエスに言った
『真理とは何か』」
(ヨハネによる福音書18章37-38節)
「真理」とはすなわち神のこと
「しかし、わたしたちは神から出たものである
神を知っている者は、わたしたちのいうことを聞き
神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない
これによって、わたしたちは
真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである」
(ヨハネの第一の手紙4章6節)
わたしたちは色々な知識には疎い者かも知れませんが
「真理とはなにか」を知っています
そして、その真理の霊に導かれて日々を生き
神の知恵と力をいただきながら様々な試練を乗り越えている
どんなところに置かれても
神に祈り求めていく時に
必ず助けが与えられるとの体験の積み重ねが
信仰をいっそう深くするのです
ただ自分のおかれた立場を嘆き
逃げの体勢で言い訳をしているばかりでは進歩がありません
この試練を通して神が生きて働く証を見るために
今は
『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』
とのみことばに従う時です
まわりの群衆の声に惑わされることなく
ただ神を見上げて希望を持って進んでいきましょう
ひとりひとりに見合った速さで
それぞれに与えられた道を
ひとあしひとあし進んでいく
それが「従う」ということです
今がどういう時であるかを冷静に見極め
それにふさわしい歩みをなすことができますように
祈っていきましょう
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