今週のみことば
5月31日
「ただ強く、また雄々しくあって
わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法を
ことごとく守って行い
これを離れて右にも左にも曲ってはならない
それはすべてあなたが行くところで
勝利を得るためである」
(ヨシュア記1章7節)
モーセの後を継ぎイスラエルの民を率いる者として選ばれたヨシュアは
カナンの地を目前にして神より告げられました
今までモーセがそうしてきたように
神を信じ、その律法を守り、右にも左にも曲がることなく
神に対して忠実に歩んでいくならば
行く先がどのような場所であっても恐れることはない
必ず神は勝利を得させるのだと
ヨルダン川を渡れば向こうはカナンの地
しかし、そこにはアナクの子孫、つまり大男が住んでいました
人間の常識で考えるならば
到底かなう相手ではありませんが
それでも進んでいかなくてはなりません
「わたしはあなたに命じたではないか
強く、また雄々しくあれ
あなたがどこへ行くにも
あなたの神、主が共におられるゆえ
恐れてはならない
おののいてはならない」(9節)
わたしたちの人生にあっても
その行く先はさまざまな不安に満ちていて
あの人がいるから、あんな状態だからと
まず恐れが先立つと一歩も進めなくなります
また、自分の力を過信して無理に進んでも
なかなか上手くいくものではないでしょう
そんなどうしようもない状況下にあっても
神を信じ、忠実に歩もうとする者には
必ず助けが与えられ
その戦いに勝利を得ることが出来るのです
申命記11章1-7節では
出エジプトに際して神が行われた数々の奇跡を
実際に体験した人々に対して思い出させ
如何に助けられてきたかを確認しています
さまざまな窮地にあっても
必要な時に必要な助けが与えられる
天よりのパン、マナが与えられた時も
多く集めた者も余ることはなく
少なく集めた者も足らないことはなかったように
必要な分がちょうどよく与えられていましたが
(出エジプト記16章11節)
このように
時に応じてちょうどいいものが毎日与えられる生活こそ
祝福ある人生というものではないでしょうか
それがあれば
生きることになんら恐れることはないからです
たくさんのものやお金があれば幸せかといえばそうではなく
日々神より与えられる平安と助けにこそ
本当の幸せがあるのです
人は見た目で重要性を判断しがちですが
人の知恵で人生を歩むには限度があります
明日のことは人間誰にもわかりません
モーセと共に行動した体験がヨシュアにはあり
神の命令に従っていけば
どこに行っても必ず助けがあると確信していました
やっとたどりついたカナンの地にあって
そこからまた新たな戦いが始まるわけですが
彼は常に神の言葉に従って進み
勝利を得ていくのでした
「十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが
救いにあずかるわたしたちには、神の力である」
(コリント人への第一の手紙1章18節)
「わたしがあなたがたのところに行った時には
弱くかつ恐れ、ひどく不安であった
そして、わたしの言葉もわたしの宣教も
巧みな知恵の言葉によらないで
霊と力との証明によったのである
それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで
神の力によるものとなるためであった」
(コリント人への第一の手紙2章3-5節)
この福音をのべ伝えるにあたっても
人の知恵の言葉に頼るのではなく
神の言葉、つまり聖書がいかに語っているかを第一とし
みことばに従って歩もうとする者に神がいかに働いて下さるか
その生き様によって神の力が証明されることが大切なのです
将来のことを不安に思えば
人間的に色々と思いをめぐらし
間違った方向に進んでしまう可能性もあります
人の心は容易に曲げられ
それはまたやがて表に現われるものです
「幼な子でさえも、その行いによって自らを示し
そのすることの清いか正しいかを現す」
(箴言20章11節)
ここを文語訳聖書では
「幼子といへどもその動作によりて
おのれの根性(こころね)の清きか或いは正しきかをあらはす」
と書いてありますが
みことばに従って、平安を与えられ
心を整えられていくことは
その人の行動、生き様に大きく影響してくるわけです
人生さまざまな戦いの連続ではありますが
いにしえの信仰者がたどってきた道を心に留め
いかなる時も神を信頼し
希望を持って進みだす信仰を養っていきたいものです
そこには必ず神よりの助けがあるとの約束を信じ
それぞれの持ち場立場にあって
日々前進して参りましょう
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