今週のみことば


6月7日

「ヌンの子ヨシュアは、シッテムから
ひそかに二人の斥候をつかわして彼らに言った
『行ってその地、特にエリコを探りなさい』
彼らは行って、名をラハブという遊女の家に入りそこに泊まった」
(ヨシュア記2章1節)

エリコを探るためにつかわされた二人の使いは
エリコの城壁の上に住んでいる遊女ラハブのところへ入ります
彼女は、神がカナンの地をイスラエルに与えると約束したことや
エジプトを出る際に紅海で起こった奇跡などを聞き
この地の民がイスラエルを非常に恐れていることを知っていました
そのため彼女は
エリコの王からこの二人を出すように言われても
彼らはすでに立ち去ったと嘘を告げたのです

こうしてイスラエルの使いをかくまったラハブは
今後自分の家族がイスラエルによって滅ぼされることがないようにと
彼らに対して願い出ますが
二人の使いはその願いを受け入れることを約束し
目印に窓に赤い紐を結んでおくようにと命じます
この目印がある家に居る者は滅ぼされないが
そこから自ら出てきて滅ぼされた者があれば
その責任は本人に帰すると言い渡したのでした
その後、彼らが立ち去ったあと
ラハブはすぐに赤い紐を結びました

ラハブは遊女という人からは卑しめられる立場ではありましたが
彼女は心から神をおそれ、信じていました
そんな彼女がこの大事な場面で用いられ
正しい行為をまっとうしたことは
彼女の信仰のあらわれでした

「信仰によって、遊女ラハブは
探りに来た者たちをおだやかに迎えたので
不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった」
(ヘブル人への手紙11章31節)

「同じように、かの遊女ラハブでさえも
使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時
行いによって義とされたではないか
霊魂のないからだが死んだものであると同様に
行いのない信仰も死んだものなのである」
(ヤコブの手紙2章25-26節)


ラハブがもし人間的な損得を考えるのであれば
王に告げ口した方が彼女にとっては好都合でしょう
それでも彼女は神を信じていましたから
その信仰から来る正しい行為によって
義とされたのでした
これは偽善的な行為ではなく
純粋に神を信じる心からの行為です

彼女はイスラエルの使者を逃がす際に約束をしましたが
それは単に口約束に過ぎません
それでもラハブは口約束を信じて使者を逃がします
神のご計画は必ずなると彼女は信じていましたから

こうして彼女がここまで信じているのはなぜでしょうか
それは、現実に神がイスラエルを助けてきたことを知り
その実証でもって神を信じているからです
わたしたちの信仰生活はただの夢物語ではなく
実際に神が日々助けてくださる証が伴っています
その実証が信仰の支えとなり
更なる確信と、次の行動へわたしたちを導いていくわけです
また、その実証により
わたしたちは神にある者の幸いを
人々にのべ伝えていくのです

神のみことばに従うことは
人間的な立場から考えると
一見損をしているように見えるものもあるでしょう
しかし、どうすることが一番正しいことなのかを判断する際
人間はどうしても自分の見栄を優先し
自分で考えて得になりそうな方向で行動しがちで
そのためかえって滅びをまねていることも少なくありません

少年ダビデの前に立ちはだかる大男ゴリアテのように
人間の力ではどうしようもない問題が起こった時でも
そこに神のみことばという武器をもって
信仰によって進み出すならば
小さな石ひとつで大男を倒すことが出来るのです
それは
すべて神を信じる信仰から来る行為によって
現実のものとなるのでした

「彼は神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず
かえって信仰によって強められ
栄光を神に帰し
神はその約束されたことを
また成就することができると確信した
だから彼は義と認められたのである」
(ローマ人への手紙4章20-22節)


年老いたアブラハムが
常識的にはすでに望みが失われた状況にあっても
子どもが与えられるとの神の約束を信じていたように
わたしたちもまた
いかなる状況においても希望を失わず
さらにすべてのこと栄光を神に帰し
正しい道へと導かれてまいりましょう

そのためにも
自分がいかなる者であるかという現実を悟り
すべて神の独り舞台であることを認識し
ラハブが神の約束を信じて赤い紐を窓に結んだように
今自分のなすべきことをすぐ行動に移していきたいものです

上手くいかない現状から立ち上がるためには
自分の考えや価値観を神によって変えていただかなくてはならず
そのために必要な問題も起これば
解決のためにみことばも与えられます
ところが
みことばをただ頭で理屈で理解しようとすると
自分の思いをさしはさんで頭をめぐらし
結局正しく理解することが出来ないため
根本的な改革や問題解決につながらないのです

いにしえの信仰者がどのように神に従っていったのか
聖書のみことばから学びながら
それを日々の歩みに反映させ
幸いな人生へと導かれていきますように



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