今週のみことば


6月14日

「ヨシュアがエリコの近くにいたとき
目を上げて見ると、ひとりの人が抜き身のつるぎを手に持ち
こちらに向って立っていたので
ヨシュアはその人のところへ行って言った
『あなたはわれわれを助けるのですか
それともわれわれの敵を助けるのですか』
彼は言った
『いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ』
ヨシュアは地にひれ伏し拝して言った
『わが主はしもべに何を告げようとされるのですか』
すると主の軍勢の将はヨシュアに言った
『あなたの足のくつを脱ぎなさい
あなたが立っている所は聖なる所である』
ヨシュアはそのようにした」
(ヨシュア記5章13−15節)

出エジプト記23章20節に
「見よ、わたしは使いをあなたの前につかわし
あなたを道で守らせ、わたしが備えた所に導かせるであろう」

と記してあるように
イスラエル人の進むべき道は必ず神によって示され
その道は神によって守られることが約束されていました
そのために絶対的に必要なことは
「あなたはその前に慎み、その言葉に聞き従い
彼にそむいてはならない」(21節)

というものであり
イスラエル人がこれから行く先には色んな敵が待ち構えているが
必ず神にあって勝利すると約束されているのでした

また、最も心に留めておかなければならないのは
他の神々を拝んではならないということ
「あなたがたの神、主に仕えなければならない
そうすれば、わたしはあなたがたのパンと水を祝し
あなたがたのうちから病を除き去るであろう」(25節)

パンと水の祝福
つまり日々の生活が守られること
また、様々な心配事も癒されていくことも
ここで約束されているのです

さて、ヨシュアの前に現われた”主の軍勢の将”の話に戻ります
抜き身のつるぎを手に持つという物騒な人に対して
まずヨシュアは冷静に敵か味方か確かめます
彼は主の使いがつかわされてイスラエルを導くことを知っていたので
その判断を間違えないように対応しました
これはヨシュア自身に信仰がなければ難しいことでしょう
そして、彼が主の軍勢の将であると確認した後は
その言葉に従って行動しました
『あなたの足のくつを脱ぎなさい
あなたが立っている所は聖なる所である』


イスラエルの民はすでに神の約束の地に居り
これからの戦いはすべて神の独り舞台となります
その聖なる場所にあってまず今まではいていた靴を脱ぐ
それは、わたしたち信仰者にとって
神の前に出る時の心構えでもあります

ひとりひとりには今まで歩んできた経験があり
それぞれの経歴による誇りもあるでしょう
あるいは家柄、学歴、地位、名誉(信仰歴もふくめて)と
自分を高く置くような気持ちがあるならば
そういうつまらない自負心は神の前にすべて脱ぎ去って
ただ低くなって従っていくことこそ
信仰の根本姿勢です

ヨシュアの信仰は単に表向きのものではありません
神の使いの前に心からひれ伏し、その言葉に従う
そこに、”神は信じる者を必ず助ける”との結果が
この後、エリコの戦いでも現れてくるのでした

かつてエジプトを出ることを切望したにも関わらず
荒野で試練にあうたびに
イスラエルの民はしばしばエジプトをなつかしみ、帰ろうとしました
指導者モーセがシナイ山に登ってなかなか降りてこない間には
すでに人々の心は神を離れ
自ら金で偶像を作り始めたのです(出エジプト記32章)

それに対してモーセが
『すべて主につく者はわたしのもとにきなさい』というと
レビの子達が集まってきました
彼らは命じられたとおり
その兄弟、友、隣人を滅ぼしました
そこでモーセは言います
『あなたがたはおのおのその子、その兄弟に逆らって
きょう、主に身をささげた
それで主は、きょう、あなたがたに祝福を与えられるであろう』(29節)


神の言葉に従う時
自分の心に左右されていたら従えません
自分にとって大切な存在である兄弟や友人を滅ぼすという
一見残酷なこの命令は
自分の情を打ち捨てて神にその身を捧げることを教えています
つまりは
自分にとって大切だと思えるもの
しかし実はそれが信仰を妨げる元になっているものを
潔く捨て去ることの大切さ
今のわたしたちの生活にあっては
お金や名誉や自分の面子にしがみつき
神によって日々の生活が守られる地道な幸いを
つまらないもののように思ってしまう感覚を、思いを
捨てていくことが本当の信仰だということです

世の中にある派手なものに目を奪われず
神から目を離すことなく
淡々と冷静に自分に与えられた道を歩む姿勢こそ
神に求められているものであり
それが本物の祝福を受ける秘訣でもあります

「神の言葉は生きていて
力があり
もろ刃のつるぎよりも鋭くて
精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺し通して
心の思いと志とを見分けることができる
そして、神のみまえにはあらわでない被造物はひとつもなく
すべてのものは、神の目には裸であり
あらわにされているのである
この神に対してわたしたちは言い開きをしなくてはならない」
(ヘブル人への手紙4章12−13節)


イスラエルの民にとって40年間の荒野の旅は
信仰の試しの時でした
人の信仰が育つか否かは
試練の時、いかに神のみことばが心の中に生きていて
それに従って進めるかどうかにかかっています

いかにも信仰熱心なように見せていても
その心はすべて神の前にあらわになっていることは確かですから
表向きの熱心さを追求するのはかえって信仰の妨げとなるのです

「あなたがたが新たに生まれたのは
朽ちる種からではなく
朽ちない種から、すなわち
神の変ることのない生けるみことばによったのである
『人はみな草のごとく
その栄華はみな草の花に似ている
草は枯れ、花は散る
しかし主の言葉はとこしえに残る』
これがあなたがたに宣べ伝えられた御言葉である」
(ペテロの第一の手紙1章23−25節)


どんな人でも、神の前に出る時にはその心は裸になって
何も誇るところなく
神のみことばを心にとめて
そのみことばが各々の生活に生きるように従っていきましょう

試練の中にあっても
小さな安らぎを得られる日々に感謝し
神の祝福のうちに歩んでいけますように



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