今週のみことば
6月21日
「さてエリコは、イスラエルの人々のゆえにかたく閉ざして
出入りするものがなかった
主はヨシュアに言われた
『見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を
あなたの手にわたしている
あなたがた、いくさびとはみな、町を巡って
町の周囲を一度回らなければならない
六日の間そのようにしなければならない
七人の祭司たちは、おのおの雄羊の角のラッパを携えて
箱に先立たなければならない
そして七日目には七度町を巡り
祭司たちはラッパを吹き鳴らさなければならない
そして祭司たちが雄羊の角を長く吹き鳴らし
そのラッパの音があなたがたに聞こえる時
民はみな大声に呼ばわり、叫ばなければならない
そうすれば町の周囲の石がきはくずれ落ち
民はみなただちに進んで、攻め上ることができる」
(ヨシュア記6章1-5節)
エリコにおける戦いについて
その戦い方が神より具体的に示され
イスラエルの民はそれに従いました
難攻不落といわれたエリコの町
そこを攻め取る方法は
ただ一日に一回町の周りを回るだけという
実に単純かつ不可解なものでした
この動きは
エリコの人々にとっても不気味だったでしょうし
イスラエルにとっても
”何をやっているのだろう”と
少なからず疑問があったものと思われます
しかし
ここにはそれについての不満の声はなく
神の命令にそのまま従い
勝利を得た結果が記されてあるのでした
わたしたちが神に従って歩む日々もまた
ちょうどエリコの町を一日一回まわっているようなものです
派手さもなく、意味もないように思われる日常であっても
そうして淡々と繰り返される毎日の積み重ねは
神の前にわたしたちが成長するために大切なことなのです
目の前にある問題や試練と戦うために
大切なのは神の導きに従っていくこと
それは
一見つまらないように見える日常を
神から与えられた人生として
守るべきものを守り、すべきことをなして
日々祈りのうちに淡々と進んでいくことです
そこから先なにがなされるかは神の独り舞台
事をはじめ、事を成し遂げる神は
信じる者に無駄な時間を過させはしません
単調な日々を無駄だと思ってあせるのは
そこに”神が戦う”という認識がないからで
人は完全ではないにも関わらず
自分を過信してしまっているからです
実際に
この世でわたしたちが戦う相手はサタンであり
人の力では到底勝利できるものではありません
それでも自分の力を頼るならば
戦いが激しくなるほど
人はだんだん視野が狭くなり
最後には神を見ようとすることもしなくなって
絶望し、自滅してしまうのです
難攻不落と言われる敵
つまり、どうしようもない問題や試練を前にして
日々の信仰生活の積み重ねは
必ず勝利へとつながっていきます
イスラエルの戦いの記述はすべてそのひな形であり
今日のわたしたちを導く神の言葉です
不平不満を言わず
一日を感謝のうちに過していくのが信仰生活
信仰者の歩みはすべて神の許しの中にあるものですから
今は意味がないように思われることであっても
時が来れば無駄ではなかったことがわかります
しかし
たとえ信仰歴が長くても
そこで謙遜を学んでいないならば
その単調な日々の積み重ねには
受け入れがたいものも多々あるでしょう
「人にはそれはできないが
神にはなんでもできない事はない」
(マタイによる福音書19章26節)
「人にはできないが、神にはできる
神はなんでもできるからである」
(マルコによる福音書10章27節)
「イエスは彼に言われた
『もしできれば、と言うのか
信ずる者には、どんな事でもできる』」
(マルコによる福音書9章24節)
神の働きは人知の及ばないものであることをもうひとたび認識し
ただその前にへりくだって
神に祝された歩みができますように
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