今週のみことば


6月28日

「しかし、祭司長、長老たちは、バラバをゆるして
イエスを殺してもらうようにと群衆を説き伏せた
総督は彼らに向かって言った
『ふたりのうちどちらをゆるしてほしいのか』
彼らは『バラバの方を』と言った
ピラトは言った
『それではキリストといわれるイエスはどうしたらよいか』
彼らはいっせいに『十字架につけよ』と言った
しかし、ピラトは言った
『あの人はいったいどんな悪事をしたのか』
すると彼らはいっそう激しく叫んで
『十字架につけよ』と言った
ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て
水を取り、群衆の前で手を洗って言った
『この人の血についてわたしには責任がない
おまえたちが自分で始末をするがよい』
すると、民衆全体が答えて言った
『その血の責任はわれわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい』
そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり
イエスをむち打ったのち
十字架につけるために引きわたした」
(マタイによる福音書27章20-26節)

この当時、祭のたびに総督は
群衆の願い出る囚人ひとりを許してやる慣例がありました
総督ピラトは、イエスが何も悪いことをしてはいないことと
ねたみによって引き渡されたことを知っていたので
イエスを十字架につけることには賛成できませんでしたが
すでに祭司長らによってあおられた群集が
暴動をおこしそうな勢いだったため
自分には責任はない、責任は自分たちで取ってくれと
群衆の望みどおりにしたのでした

イエスの十字架は予言どおりであり
その血なくしては万民の救いはなかったのですから
この一連の出来事はすべて神のご計画のうちにあったことですが
一方で、ここは
人間の心の葛藤や弱さが浮き彫りとなり
いざという時に人の心がどこへ向いているかによって
その行動も変ってくるという見本のような箇所でもあります

真実を見抜いていながらも
結局自分の立場を守ろうとした総督ピラト
イエスを選ぶかバラバを選ぶかは
神を選ぶのか世を選ぶのかとの選択でもあり
自分の面子や名誉を優先してしまう弱さがそこで露見しています

表向きどんなに熱心な信仰者を装っていても
心の中が100パーセント神に向いている人はいないでしょう
イエスかバラバか
神か世か
人の心はいつもその間で揺れていて
そこに戦いが生じます

ピラトは人を恐れて己の弱さに負けたわけですが
その心が神に向いていれば
いざという時も群衆を恐れずにすんだことでしょう
わたしたちにとって重要なことは
その心がどこにあるかです
その心があるところがその人の命のあるところ
つまり
最も大切だと信じているものが何かによって
人の行動は変ってくるのです

ルカによる福音書12章には
ある富める人のたとえ話が出てきます
彼は豊作でたくさんの蓄えが出来たことを喜び
自分の心にいいました
『たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある
さあ、安心せよ、食え、飲め、楽しめ』
すると神は彼に言われました
『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちに取り去られるであろう
そしたら、あなたが用意した物はだれのものになるのか』
神に対して心が向くことなく
ただ自分の蓄えが増えることに心が一杯になっている富める人
ここでは
ひたすらお金や名誉を追い求める人の空しさが教えられます

自分を過信し、傲慢になることは
最も神から遠ざかる道です
人間は弱いものだと知っていれば
どんなところに置かれても神に祈って強くなれるのですが
そう認めたくない、認めようとしないことから
神との距離はますます広がってしまうのです
神と人とを隔てるものが
世の中にはたくさん存在していて
その最たるものが人の心、思いです

バラバゆるすことに賛同した群衆は
自分では正しい判断が出来ず、ただあおられて行動しました
彼らの心は神に向いておらず
結局は売り言葉に買い言葉で
『その血の責任はわれわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい』
と、究極の傲慢な発言を生むのでした
こういう言葉は神をおそれていたら出てこないものでしょう

人のとっさの発言や行動で
その人が自分を如何なる者だと思っているかが現われてきます
核心の部分から目をそらすことなく
自分を冷静に省みて
自分の弱さと向き合い
神の前に心からへりくだる者となっていきましょう

信仰生活とは難しい理屈の世界ではなく
ただ、自分を弱いものと認め
その上で自分のなすべきことをなし
あとを神にゆだねて日々真摯に歩むことです

名誉や面子はかえって人をしばり
幸せな人生のさまたげとなるものです
神を信じて真に楽しい人生を送っていきたいものです

「最後に言う、主にあって
その偉大な力によって、強くなりなさい
悪魔の策略に対抗して立ちうるために
神の武具で身を固めなさい
わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく
もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者
また天上にいる悪の霊に対する戦いである」
(エペソ人への手紙6章10-12節)


わたしたちが取るべき神の武具は
祈りとみことばです
ひとりひとり色々な道を通らされることではありますが
それぞれの道にあって戦いに勝利すべく
いよいよその心を神に向けて進んでいきましょう

「だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない
その確信には大きな報いが伴っているのである
神の御旨を行って約束のものを受けるため
あなたがたに必要なのは忍耐である
『もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる
遅くなることはない
わが義人は、信仰によって生きる
もし信仰を捨てるなら
わたしのたましいはこれを喜ばない』
しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく
信仰に立って、いのちを得る者である」
(ヘブル人への手紙10章35-39節)




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