今週のみことば


7月5日

「しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて
ペテロに言った
『確かにあなたも彼らの仲間だ
言葉づかいであなたのことがわかる』
彼は『その人のことは何も知らない』と言って
激しく誓いはじめた
するとすぐ鶏が鳴いた
ペテロは
『鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう』
と言われたイエスの言葉を思い出し
外に出て激しく泣いた」
(マタイによる福音書26章73-75節)

イエスが捕らえられる直前までは
『たとい、みんなの者があなたにつまずいても
わたしは決してつまずきません』
『たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても
あなたを知らないなどとは決して申しません』と
強気の発言をしていたペテロでしたが
いざ、イエスが捕らえられ
自分もその弟子であったことを人々から問い詰められると
自分可愛さのあまり
『その人のことは何も知らない』
と三度までも言ってしまうのでした

このペテロの言動は人の弱さの象徴でもあります
人は自分の命(あるいは命に値する大事なもの)がかかると
簡単に神を否定する方向へ変ります
だからこそ神の救いがあるわけで
救われて自分の弱さと向き合う信仰生活を送ることにより
目の前に起こることを正しく見極めて進んでいけるようになるのです

もし自分の行動に失敗があったなら
まずはイエスの言葉を思い出すのが一番大切で
ペテロは
『鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう』
との言葉を思い出し
自分の弱さを悔いて泣きました
そしてその後の彼は
死をも恐れない伝道者として立ち上がっていくわけです
本当に自分はダメだと認め
己を低くすることで
ペテロは大きな力をいただいたのでした

人が決心することは絶対ではなく
自分にとって大切だと思えるものを守るためには
イエスを裏切ることもする・・
それが人間の姿というものですが
その”自分にとって大切だと思えるもの”が何なのか
お金、名誉、面子その他いろいろ
人間のこだわるところをサタンは見抜いていて
崩しやすいところから人をつついてきます
これを人の力で何とかしようとしても
なかなか太刀打ちできるものではありません

わたしたちの目の前には
それが神からなのか、或いはサタンの惑わしなのか
一見区別のつかないようなことが色々あって
それを正しく見極める勘を養っていく必要があります
それでもしばしば自分の弱さに負けて間違いを犯す時も
イエスに立ち帰れば
この世の中を知恵を持って正しく歩むことができるのです

「そのころ、ヒゼキヤは病んで死ぬばかりであったが
主に祈ったので、主はこれに答えて、しるしを賜った
しかしヒゼキヤはその受けた恵みに報いることをせず
その心が高ぶったので
怒りが彼とユダおよびエルサレムに臨もうとしたが
ヒゼキヤはその心の高ぶりを悔いてへりくだり
またエルサレムの住民も同様にしたので
主の怒りはヒゼキヤの世には彼らに臨まなかった」
(歴代志下32章24-26節)


いにしえの王もしばしば間違いを犯していますが
その間違いの中でも最も神が嫌われるのが「傲慢」です
傲慢だからこそ間違いを犯すのだといえるかもしれません
しかし、それを悔いて心からへりくだるなら
神はまた許してくださるのでした

サムエル記上30章において
窮地に立たされたダビデは
その切羽詰った状況下で祈ります
「しかしダビデはその神、主によって自分を力づけた」(6節)

欲や不安は人の心を神から遠ざけようとし
その行動を間違った方向に導きますが
いかなる時にあってもわたしたちは神に祈り
冷静に物事を判断して
神によって力を与えられていきましょう

常に自分の弱さと向き合う勇気をもって
神の前に己を低くして歩むことができますように



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