今週のみことば


7月12日

「同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである
みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが
自分の中に根がないので、しばらく続くだけである
そののち、みことばのために困難や迫害が起こってくると
すぐつまづいてしまう」
(マルコによる福音書4章16-17節)

ここは『種まきのたとえ』の箇所です
まかれた種は「みことば」
そして「みことば」とは「神=イエス」のことを表しています

正しいもの(真理)を伝えれば誰もが聞いて受け入れてくれるかといえば
実際にはそういうものではなく
ここでは、「石地にまかれたもの」の他に
「道ばたにまかれたもの」や「いばらの中にまかれたもの」が
それぞれ鳥に食べられたり
いばらにふさがれて生長できなかったりという例えを通して
みことばを聞いて受け入れることの難しさが語られています

さらに、続く24節には以下のように記されています
「聞くことがらに注意しなさい
あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ
その上になお増し加えられるであろう」


みことばを聞く時には
それが言わんとしている本質の部分をつかむことが重要で
それによってどう生きていくべきかという正しい価値基準を教えられ
またそれに従って歩むことで
神の祝福を受けることができるわけです
もし間違った価値基準で量っていくならば
自らもその同じ価値観で量られてしまうことを忘れてはなりません

「わたしはこう祈る
あなたがたの愛が、深い知識において
するどい感覚において、いよいよ増し加わり
それによって、あなたがたが
何が重要であるかを判別することができ
キリストの日に備えて
純真で責められるところのないものとなり
イエス・キリストによる義の実に満たされて
神の栄光とほまれとをあらわすに至るように」
(ピリピ人への手紙1章9-11節)


人生にあって
「何が重要であるかを判別すること」
非常に重要なことです
自分にとって今重要なことを正しくつかんでいくために
みことばの核心部分を正しく理解し
受け入れていくことが大切なのです

実際問題として
サタンはありもしないものをあるように見せかけ
起こりもしないことを起こるように思わせ
人の恐怖心をあおります
こうなってしまうと
常識で考えたらわかるような簡単なことでさえ判断できなくなり
行動も支離滅裂になってしまうのが怖いところです

神によって「知る力」と「見抜く力」を与えられ
本当に重要なものが見分けられるように
みことばを聞き、教えられ、受け入れていきましょう

マタイによる福音書13章24節からは
『毒麦のたとえ』の記述があり
そこには良い種と一緒に毒麦の種もまかれ
毒麦は途中で抜かれることなく
両者は同じように育つと記されています
良い種だけをまいたはずなのに
いつの間にか敵が来てそこに毒麦をまいてしまった
毒麦だけを抜き取ろうとしたら
もしかすると良い麦も間違って抜いてしまうかもしれない
だからそのまま育つに任せよう
そして最後、収穫の時に両者をより分けるわけです

世の中には、正しい価値観を持って真摯に生きようとする人だけではなく
人をだまし、自らも間違った価値観で惑わされている人があります
また、ひとりの人の心の中にも「良い麦」と「毒麦」があって
前者は神に従おうとさせ、後者はその足を引っ張ります

「あなたがたはたしかに彼に聞き
彼にあって教えられて
イエスにある真理をそのまま学んだはずである」
(エペソ人への手紙4章21節)


真理を正しく聞き、教えられ、学ぼうとすることで
自分の心の中の毒麦に惑わされることなく
神に対する心を成長させ
本物の信仰心を養っていきましょう

信仰生活も長くなれば自分の信仰はすごいと思いたくもなりますが
自分の信仰を自ら誇ることなく
ここまで信仰心を与えられていることにまず感謝して
いよいよ神の前に己を低くして歩むことが大切です
また反対に、自分の信仰が小さいと思うなら
それが成長するように努力する(祈る)ことも大切です

救われることの幸いは何かといえば
それはすべてのことを神さまにおゆだねできるようになることでしょう
神にあってなされたことは
良い事であれば、自分が自慢するのではなく
悪い事であっても、悲観する必要はないということ

「あなたがたは急いで出るに及ばない
また、とんで行くにも及ばない
主はあなたがたの前に行き
イスラエルの神はあなたがたのしんがりとなられるからだ」
(イザヤ書52章12節)


自らあせって無茶な行動に走るのではなく
この神さまは常にわたしたちの前を進み
また後押しをしてくださる方であることを信じ
世の中の間違った価値観に流されることなく
それぞれが神から与えられた道を
右にも左にも曲がることなく進んでいきましょう



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