今週のみことば


7月26日

「それから彼らはエリコにきた
そして、イエスが弟子たちや大勢の群衆と共にエリコから出かけられたとき
テマイの子、バルテマイという盲人のこじきが道ばたにすわっていた
ところが、ナザレのイエスだと聞いて、彼は
『ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください』と叫びだした
多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが
彼はますます激しく叫びつづけた
『ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください』
イエスは立ちどまって『彼を呼べ』と命じられた
そこで、人々はその盲人を呼んで言った
『喜べ、立て、おまえを呼んでおられる』
そこで彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにきた
イエスは彼に向かって言われた
『わたしに何をしてほしいのか』
その盲人は言った
『先生、見えるようになることです』
そこでイエスは言われた
『行け、あなたの信仰があなたを救った』
すると彼は、たちまち見えるようになりイエスに従って行った」
(マルコによる福音書10章46−52節)

心からイエスを求めるバルテマイの声は届き
彼の願いは聞き入れられました
上着を脱ぎ捨ててイエスの元にやってきた彼の姿は
自分の持っている思想や先入観を捨てて
神の前に己を捨てて救いを求めることの大切さを教えられます

更に、イエスの彼に対する(答えのわかりきった)問いかけは
ある意味失礼な内容のようでもありますが
彼は素直に自分の願いを告げたのでした

ただ心から信じ
その言葉に従うことで幸いを得たバルテマイ
彼は目が見えるようになった後もイエスに従っていきました
自分の願いがかなったら
そこからいよいよ神に従って行く
それが信仰者のとるべき姿です

「わたしは、わたしを愛する者を愛する
わたしをせつに求める者は、わたしに出会う」
(箴言8章17節)

「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば
その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与えられる神に
願い求めるがよい
そうすれば、与えられるであろう
ただ、疑わないで、信仰を持って願い求めなさい
疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている」
(ヤコブへの手紙1章5-6節)


わたしたちはイエスを=神を愛していると言いつつ
実は自分の思いを捨ててその教えを守ることも難しく
本当のところではそれほど愛していないのかもしれません
それが人間の弱いところです
だからこそ、なおこうして神を愛し従うことの大切さを常に教えられ
信じて求めていく素直な心を与えられるべく祈っていくのです
バルテマイの信仰はとても単純なものではありますが
その純粋に救いを助けを求めて進む姿勢を
改めて心に刻んでおきたいものです

「神はこのイエスを死の苦しみから解き放って
よみがえらせたのである
イエスが死に支配されているはずはなかったからである」
(使徒行伝2章24節)


もしイエスが死に支配されるような方であるなら
信じても仕方がありません
しかし、イエスは決して死に支配されず
彼によって救われた者もまた死に支配されないのです
この肉体はいずれ滅びても魂は滅びない
生きている間の苦難も試練も
わたしたちを死につなぐものではなく
わたしたちはただ希望のうちに生きる幸いを得ています

人間は知恵がある反面、非常に愚かであり
自分の思い込みで間違った方向へと引かれていく場合が多々あります
何が正しくて何が間違いなのか
その違いを見極める目が開かれ
神の定めた道を歩んで平安を得ていきましょう

目の前の問題に対してなす術がなく
お祈りしていくしかない時は
神の時を待つ訓練をしているようなものです
これで一体どうなるのかと思うような場合であっても
決してダメになってしまうことはない

『行け、あなたの信仰があなたを救った』
どんな時も希望を捨てず
純粋に神を求め、祈って進んでいきたいものです



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