今週のみことば


8月2日

「われわれの神よ
あなたは彼らをさばかれないのですか
われわれはこのように攻めてくる大軍に当たる力がなく
またいかになすべきかを知りません
ただ、あなたを仰ぎ望むのみです」
(歴代志下20章12章)

ユダの王ヨシャパテは
攻めてきたアンモン、モアブ、セイル山の人々の大軍に囲まれ
その窮地の中で神に祈ります
兵力を数えればユダに勝ち目はなく
ヨシャパテも自分たちには戦う力がない現実を知っていましたから
ただ神を仰ぎ望んで
すべてをおゆだねする以外
彼らに生き残る道はありませんでした

ヨシャパテ王は信心深い人で
ダビデ王を見習い、偶像に身をかがめることをせず
そのために神は常にヨシャパテと共にいまして
国を守り、繁栄させていきましたので
彼はいよいよ信仰の道を堅く歩み
どんな窮地にあっても神に祈り求めていきます

その時、神の言葉を預言者ヤハジエルが告げました
「ユダの人々、エルサレムの住民、およびヨシャパテ王よ、聞きなさい
主はあなたがたにこう仰せられる
『この大軍のために恐れてはならない、おののいてはならない
これはあなたがたの戦いではなく、主の戦いだからである
あす、彼らのところへ攻め下りなさい
見よ、彼らはヂヅの坂から上って来る
あなたがたはエルエルの野の東、谷の端でこれに会うであろう
この戦いには、あなたがたは戦うに及ばない
ユダおよびエルサレムよ
あなたがたは進み出て立ち
あなたがたと共におられる主の勝利を見なさい
恐れてはならない、おののいてはならない
あす、彼らの所に攻めて行きなさい
主はあなたがたと共におられるからである』」

(歴代志下20章15-17章)

この言葉を受けた後
ヨシャパテ王は人々に向けて
神を信じ、預言者の言葉を信じて進めば
必ず勝利すると宣言するのでした

明日、戦いの場に出て行くのは非常に恐いことです
何しろ兵力を考えれば到底勝てない相手であり
とにかく戦いの場に出て行くべきことだけが告げられたのみで
何がどうなってという展開はあらかじめ教えられたわけではありません
もし不信感があればとても恐くて従えなかったでしょう
それでも信仰に堅く立つヨシャパテ王は
神の言葉を信じて進みだしました

翌朝、戦いの場に踏み出したヨシャパテ王の軍勢の前で起こったのは
想像もしなかった敵と敵の同士討ちでした
これは神が伏兵を設けて敵を惑わしたためで
預言者が告げたように
ヨシャパテ王の軍勢は戦うことなく勝利を手にします

わたしたちも様々な試練の場に置かれた時
ヨシャパテ王のように神に祈り求めます
しかし、神に祈れば自分は何もしなくていいのではなく
必ず自ら戦いの場に出て行くこともそこに要求され
”自分には何の力もないが
神が共にいてくだされば何も恐れることはない”
との信仰がそこでは試されていきます

つまり、祈る=何も行動しないのではなく
あくまでも自分のなすべきことをなすのが重要で
これが”従う”ということです
そして、神を信じて、恐れず戦いに出ていく姿は必ず神に見られ
実際の戦いにおいては神がその力をもって勝利を与えてくださるのです

”従うこと””聞くこと”は信仰の土台
自分の固定観念ですべてを見限ってしまわないように
自分には戦う力がないことをまず悟り
頭を低くして神に求めていきましょう

どんな時も神に望みをおけるかどうか
信頼できるかどうか
日常を通して
信仰は常に試されているようなものかもしれません
そして、心から信頼して寄り頼む人に神は生きて働き
絶対にその人に恥をかかせないようにしてくださることを
ひとりひとりが体験し
その証をもって更に信仰に堅くたって進んでいくわけです

「神の御心にかなった悲しみは
取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ
世の悲しみは死をもたらします」
(コリント人への第二の手紙7章10節)


わたしたちは例え悲しみにあうことがあっても
それを通して必ず神は必要なことを教え、幸いに導いてくださいますが
この世の悲しみはただ人を絶望へと誘うのみです

生きている間、様々な試練に置かれることはあっても
最後は必ず幸いになると知っていれば
一時的な悲しみもまた希望へと変っていくでしょう
その希望がわたしたちを勇気づけ
生きる力を与えてくれるのです

「そしてユダとエルサレムの人々は皆ヨシャパテを先に立てて
喜んでエルサレムに帰ってきた
主が彼らにその敵のことによって喜びを与えられたからである
(歴代志下20章27章)


神によって勝利を得たヨシャパテ王の軍勢は
大喜びでエルサレムに帰ってきました
彼らにとって敵が攻めてきたことは大きな憂いではありましたが
結果的にはその敵のために神の働きを実感し
大きな喜びを得ることができたのです

敵のいない、試練のない日々はどんなにか幸いかと思いますが
敵があるからこその幸いもまたあるということを
ここではあらためて教えられます

試練の中にあって最も大切なことは
まず神に祈り求めて冷静であることです
サタンはしばしば人を混乱させるので、それにのってしまうと
本来の目的とは離れたことをやっていても
本人はその間違いに気がつきません

なんでもないちょっとした言葉のすれ違いや
いわゆるボタンのかけ間違いのような程度のことから
人間関係はどんどんまずくなり、問題は深刻化します

「イエスは言われた
『人にはできないことも神にはできる』」
(ルカによる福音書18章27節)


一体何をどうしたらいいのかわからない状況下にあって
神に祈り、神に望みをおいていくことができるのは本当に幸いです
どんな時も神を信頼し
目の前に開かれた道を恐れず進んでいきましょう



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