今週のみことば


10月17日

「ヨブは答えていった
『まことにわたしは、その事のそのとおりであることを知っている
しかし人はどうして神の前に正しくありえようか
よし彼と争おうとしても、千に一つも答えることができない
彼は心賢く、力強くあられる
だれが彼にむかい、おのれをかたくなにして、栄えた者があるか』」
(ヨブ記9章1-4節)


ある日突然神によって与えられた大きな試練により
どん底に落とされたヨブは
一体なぜ自分がこのような目にあうのか考えても理解できず
見舞いに来た3人の友人たちに愚痴をこぼします
その言葉を聞いて
慰めるよりも、説教を始める友人たちは
ヨブが何か罪を犯してこうなったのだと攻めるのでした

確かに、人間が神の前に完全に正しくはあり得ないとヨブは知っています
しかし、だからといってこの試練は厳しすぎる
ましてやヨブは、神ご自身がサタンに向かって
『あなたは、わたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく神を恐れ
悪に遠ざかる者の世にいないことを気づいたか』
と言わしめたほどの人です
それほどきちんとした信仰生活を送ってきたヨブにとって
なぜこのような試練を受けなければならないのかとの疑問が起こるのは
人間ならば当然のことでしょう

この時点で
ヨブは神の尊厳と偉大さを自分なりに理解し
決して逆らうべき相手ではないことはわかっています
だからこそ、この世に神がいないと言っているのではなく
ただ、自分の境遇を嘆いて
この苦しみを何とかして欲しいと心の底から叫んでいるのですが
さまざまなやり取りの後、神の言葉が直接のぞみ
それによって彼は神という存在の認識を変えられ
今まで自分では正しく信仰しているつもりでも
実は何もわかっていなかったことに気づきます
そこではじめて彼は悔い改め
本当の信仰をつかんでいくのでした

自分の置かれた悪い状況が何も変わらないにも関わらず
ヨブが神の本質を見極めることができるようになったことから
今わたしたちも、変わらぬ日常の試練の中で
自分の意識を変えられていくことによって
本当に神の尊厳を正しく認識し
そこから真に平安な道へと導かれることが教えられます

神さまのことはわかっているつもり、ちゃんと信仰しているつもりでも
実は何もわかっていなかった・・・
たとえ長年の信仰者であっても
実は大切なことに目が開かれていない場合も多いのではないでしょうか

「わたしの子どもたちが
真理のうちを歩いていることを聞く以上に
大きい喜びはない」
(ヨハネの第三の手紙4節)

本当の意味で”真理のうちを歩く”信仰者になるように
今おかれているところで自分を省み
試練の中で自分の弱さや愚かさと向き合い
表向きの立派な信者像を目指すのではなく
心から神をおそれ、敬い、感謝する者となっていきますように


「神を知らなかった当時
あなたがたは、本来神ならぬ神々の奴隷になっていた
しかし、今では神を知っているのに
否、むしろ神に知られているのに
どうしてあの無力で貧弱なもろもろの霊力に逆もどりして
またもや、新たにその奴隷になろうとするのか」
(ガラテヤ人への手紙4章8-9節)

イエスの十字架による救いを受けた者は
神を知り、神に知られる者となったはずです
なのに、いまだに神の価値観ではなく
世の中の間違った価値観を捨てられず
再び、拝金主義や名誉欲の奴隷となり
あるいは、別の神と称する偶像を信じたり
せっかくの救いをないがしろにするような生活では
なかなか本当に神さまをつかんでいくのは難しいでしょう

神の成されることはその時には理解できないこともありますが
ただ、それを受け入れて従っていく時に
その過程で神の本質に気づかされていきます

試練を乗り越えるに当たっては
自分の力で奮い立つには限界がありますから
いよいよ神に寄りすがり
助けが与えられるように祈るのです
そうすれば、神の御旨によってなされたことは
必ず神が最後には良くしてくださいますから
希望をもって進んでいきましょう

ひとつひとつの試練を通して
それぞれの信仰が成長し
真に平安な日々を得ていくことができますように



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