今週のみことば
10月24日
「主が家を建てられるのでなければ
建てる者の勤労はむなしい
主が町を守られるのでなければ
守る者のさめているのはむなしい
あなたがたが早く起き、おそく休み
辛苦のかてを食べることは、むなしいことである
主はその愛する者に、眠っている時にも
なくてならぬものを与えられるからである
見よ、子供たちは神から賜った嗣業であり
胎の実は報いの賜物である
壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ
矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである
彼は門で敵と物言うとき恥じることはない」
(詩篇127篇1-5節)
家は本来平安のあるところで
家の中では人は安らぎ、くつろぐことができるはずなのですが
もしそこに平安がないとすれば
何か考え方や行動に無理があり
結果的に家の中が不安定になっている場合が多いものです
しなくていい苦労を自ら買って出て
ただ辛苦の糧を食べるような辛い日々を送るのはむなしいこと
自分の力で必死に家を守ることよりも
まずはすべてのこと神さまが支配されていて
その中でわたしたちは生かされ
必要なものは必ず与えられることを知り
それぞれにふさわしい働きを求められていることを理解するべきでしょう
そのために必要なのは
神の知恵を得て、賢い者となることです
「わが子よ、知恵を得て、わたしの心を喜ばせよ
そうすればわたしをそしる者に答えることができる
賢い者は災いを見て自ら避け
思慮のない者は進んでいって、罰をうける」
(箴言27章11-12節)
信仰者の中でも
わたしが!という思いの強い人は
自分の考えを押し通しながら
『神さまがついているから大丈夫』と変な自信をもって行動し
結果として痛い目にあう場合がしばしばあるものです
これは、表向きは神さまが!と言っていても
その実、心の中では自分の義を貫こうとしているためで
このように信仰を勘違いすると
神の栄光に結びつかない行動に走ってしまうのでした
「たきぎがなければ火は消え
人のよしあしを言う者がなければ争いはやむ
おき火に炭をつぎ、火にたきぎをくべるように
争いを好む人は争いの火をおこす」
(箴言26章20-21節)
災いに直面した時
もし災いの火を消そうと思うなら
火が燃える材料を自ら投入しないことです
それを、自らの面子で乗り込み
更にたきぎを投入して火を大きくするのは
賢いやり方とはいえません
しかし、どこまでも自分の義にこだわる人は
負けたくないとの思いから、なかなか引くことができず
争いの火は消えないもの
もし自分が争いを好むタイプなら
まずその心を変えられていかなくてはならないのです
せっかく神さまによって
穏やかで、楽な道が開かれたなら
そこを感謝して進めばいい
反対に、厳しい道が開かれたなら
そこを祈って踏み出せば
必ず先には平安が与えられ
いずれにしても、神に栄光を帰すことができるようになります
「さて、信仰とは、望んでいることがらを確信し
まだ見ていない事実を確認することである」
(ヘブル人への手紙11章)
知恵は神より出て
信仰がその知恵を人生に生かします
先の見えない不安は人の心を臆病にしますが
立ち止まってばかりではきりがありません
なくてならぬものは必ず与えられると信じて
自らの面子にこだわることなく
平安な生き方を学んでいきましょう
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