今週のみことば


11月7日

「イエスは彼女に言われた
『わたしはよみがえりであり、命である
わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない
あなたはこれを信じるか』」
(ヨハネによる福音書11章25-26節)


ラザロが病気であることを聞いたイエスは
当初『この病気は死ぬほどのものではない
それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって
栄光を受けるためのものである』と言われ
すぐには彼のところへ行こうとしませんでした
それから2日ほどしてラザロのところへ行った時には
彼はすでに死んで墓に葬られ、4日が過ぎていました

出迎えた姉妹のマルタに向かって
イエスは上記のみことばを語られます
それはイエスご自身が神であり
その言葉を信じる者はたとい死んでも生きる
あなたはこれを信じるか?!
というものでした

死んだ者がよみがえる
これこそ活殺自在の神のみできることで
神の栄光のためにラザロは一度死に
生き返ったのです

「『恐れるな。わたしは初めであり、終りであり
また、生きている者である
わたしは死んだことはあるが
見よ、世々限りなく生きている者である
そして、死と黄泉のかぎを持っている』」
(ヨハネの黙示録1章17-18節)


イエスご自身も一度死んでよみがえるところを通られた方
そして、すべての人の死をにぎる鍵を持ち
すべての人を活かす術を持った方です

人間にとって恐いものは色々ありますが
万人が恐れるのは「死」であり
その「死」の中にも色んな死があります
この命が単純に失われるだけの死ではなく
神にあっての死もある
その場合は、一度死んで、その後必ず活かされ
神によって活かされているが故の実(結果)がそこに生っていきます

「もしわたしたちがキリストと共に死んだなら
また彼と共に生きることを信じる
キリストは死人の中からよみがえらされて
もはや死ぬことがなく
死はもはや彼を支配しないことを知っているからである」
(ローマ人への手紙6章8-9節)


イエス・キリストの名による洗礼を受けた者は
すでにキリストと共に一度この世に死んだ者で
その後は新生してキリストと共に生きる者となり
キリストにある幸いを体現しながら生きていく者とされています

ただ、その幸いを得ていくためには
まず第一に心から神を信じ
自分を第一とする思いに死ぬこと
つまりは、すべては神が導いてくださると信じて
おまかせして生きていくことです

ヨハネによる福音書21章には
復活後のイエスがペテロや他の弟子たちのところへあらわれ
彼らにたくさんの魚を獲らせて食事させた後
ペテロにこう問いかけています
「『ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に
わたしを愛するか』
ペテロは言った『主よ、そうです
わたしがあなたを愛することは、あなたがご存知です』
イエスは彼に『わたしの小羊を養いなさい』と言われた」(15-16節)

ペテロに対して『わたしを愛するか』との問いかけは3回続きました
それはわたしたちにも問いかけられていることです

今わたしたちは何を求めて信仰しているのでしょうか
今ある幸いを神の栄光と思っているでしょうか
それとも、ただ自分の都合のため
奇跡や欲のために信じているのでしょうか

「彼らが目をあげると、イエスの他にはだれも見えなかった」
(マタイによる福音書17章8章)


この章において
弟子たちの見ている前でイエスの姿が光のように白く輝く姿に変貌した時
そこには同時にモーセとエリヤの姿が現れました
するとペテロはでしゃばって
ここに3名のために3つの小屋を建てましょうと言います
ところが、雲の中から声がして言いました
『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である
これに聞け』
おそれて地に伏せた弟子たちが顔を上げると
そこにはイエスの姿しかありませんでした

モーセやエリヤはそれぞれ偉大な指導者であり預言者でありましたが
神ではありません
そのことを弟子たちに悟らせ
また、更には聖書を読むわたしたちも悟るべく
イエスこそ唯一わたしたちが愛し、信仰すべき神であることが
ここでは教えられています

「『やみの中から光が照りいでよ』と仰せになった神は
キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために
わたしたちの心を照らしてくださったのである」
(コリント人への第二の手紙4章6節)

イエスという光を受け入れることで
人は神がどういう方であるかわかるようにされます
信仰信仰と言って、ただ表向き熱心になることよりも
わたしたちはまず第一に
『あなたはわたし(イエス)を愛するか』との問いに対して
素直に受け入れる心を持っていくことが大切で
もしイエスを見上げないのであれば
真実(真理)を見ることもできません

本当に信仰がわかってくると
神にまかせた道を自然に歩むようになります
そうすれば
たとえ困難に直面しても希望を失うことなく
神と共に乗り越えていく体験をし
いよいよ生きている喜びを感じることができるようになるのです

「そして、希望は失望に終ることはない
なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって
神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」
(ローマ人への手紙5章5節)


過ぎてしまったことを惜しんだり悔やんだりするのではなく
神にあって、これからの幸いを信じ
楽しみに生きる人生でありますように
そのために
心から神を愛し、信じて
みことばに従っていきましょう



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