今週のみことば
11月28日
「それから彼らはエリコに来た
そして、イエスが弟子たちや大勢の群衆と共にエリコから出かけられた時
テマイの子、バルテマイという盲人のこじきが道ばたにすわっていた
ところが、ナザレのイエスだと聞いて、彼は
『ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください』と叫び出した
多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが
彼はますます激しく叫び続けた
『ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください』
イエスは立ちどまって、『彼を呼べ』と命じられた
そこで、人々はその盲人を呼んでいった
『喜べ、立て、おまえを呼んでおられる』
そこで彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにきた
イエスは彼にむかって言われた
『わたしに何をしてほしいのか』
その盲人は言った『先生、見えるようになることです』
そこでイエスは言われた
『行け、あなたの信仰があなたを救った』
すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った」
(マルコによる福音書10章46-52節)
イエスがやって来たとの話を聞き
躊躇せず『わたしをあわれんでください』と叫び出した盲人のバルテマイは
周りから止められてもいよいよイエスに向かって叫び続けました
そして、ついにイエスから呼ばれると大喜びして
来ていた上着さえも脱ぎ捨てイエスのもとに近づきます
イエスに呼ばれただけで踊りあがって喜ぶバルテマイ
考えてみれば
呼ばれたからといっても、その先何が起こるかわからないのに
普通の人がそこまで喜べるでしょうか
また、彼はイエスから
『わたしに何をしてほしいのか』と
聞かなくても当然わかりそうな質問を受けています
それでも彼はただ素直に自分の願いを訴えました
そんな彼の素直さがわたしたちにあるでしょうか
そして、彼が切望していた”見えるようになる”願いはかなえられ
その後、彼は”イエスに従って行った”とのことです
昔も今も神の奇跡を体験する人はたくさんいます
しかし、そのうちの多くは神を忘れてしまいます
わたしたちの願いがきかれた時
バルテマイのように、生涯従っていけるでしょうか
体の不自由な人を癒し、孤児ややもめをかえりみる神は
さまざまな試練の中にある人を助ける神です
また、裕福で恵まれた人も同様に助けて下さる神ではありますが
残念ながらそういう人は神よりもお金を頼りに行動するので
なかなか神の助けを体感することがありません
何も持たない人はどこにも頼ることができない分
心から神に祈り求めます
そして、その心を神から見られているのです
わたしには弱いところがあるのだから
神さまが特別に何かしてくれてもいいじゃないかという人がありますが
弱いところがあっても神の元に行こうとする気持ちを持つこと
更に、神の前に素直かつ正直であること
また、なされたことに感謝していくことはできるはず
何もしないでただ嘆いているばかりでなく
今の自分にできること、しなくてはならないことを考え
強くなる努力をしていくことが大切です
「わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう
彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる
彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる」
(エレミヤ記24章7章)
「あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う
もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば
わたしはあなたがたに会うと主は言われる」
(エレミヤ記29章13節)
「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば
その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に
願い求めるがよい
そうすれば与えられるであろう
ただ、疑わないで信仰をもって願い求めなさい
疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている
そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない
そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない」
(ヤコブの手紙1章5-7節)
「わたしは、わたしを愛する者を愛する
わたしをせつに求める者は、わたしに出会う」
(箴言8章17節)
どんな人も自分を愛することはできるもので
自分が苦しければ、自然と苦しみから逃れる方法を切に求めていくものです
こうして自分を愛することができるなら
自分という人間を造った神を愛することもできるはずなのです
ところが、そうなるためにはまず心の中を整理して
捨てるべき思い(思想や固定観念)を捨てていかないと
結局は心から神を求めることも、信仰を持つこともできず
常にダメだという思いに悩まされ
希望を失ってしまいます
絶望状態に陥った人は祈ることすらできなくなってしまいますから
サタンに心を支配されないためにも
その心があれこれ余計なものを取り込んで
ゴミ屋敷になっていないか考えてみましょう
神を愛し、切に求める人にこそ神の働きは現れてきます
単純なことではありますが
自分自身の心の整理もまた必須です
「兄弟たちよ、あなたがたが召されたのは
実に、自由を得るためである
ただ、その自由を、肉の働く機会としないで
愛をもって互いに仕えなさい」
(ガラテヤ人への手紙5章13節)
救いを受け、神から与えられた自由は
サタンから解き放たれる自由です
誰でも自分を愛するものですが
自分を愛することばかりに固執してしまうと
結局は自分の面子や欲ばかりを追い求めることになり
せっかく与えられたはずの自由が
いつの間にか世の中のつまらない価値観の中に閉じ込められて
本当の自由が失われてしまいます
今の時代は自分のことしか考えない人が増えてきていることから
多くの問題も起こっています
そんな時代だからこそ
わたしたちは信仰を大切にし
バルテマイの持つ、一心に神を求める心と
素直さと、感謝を忘れない心を与えられるべく
日々祈って進んでいく必要があるのです
バルテマイは「見えるようになること」を求めてそれを得ました
わたしたちも信仰の目が開かれ
神の実在を体感しながら
本当の平安を得て進んでいきたいものです
<目次