今週のみことば


1月17日

「イエスは目を上げ
大勢の群衆が自分の方に集まって来るのを見て
ピリポに言われた
『どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか』
これはピリポを試そうとして言われたのであって
ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった
すると、ピリポはイエスに答えた
『二百デナリのパンがあっても
めいめいが少しずついただくにも足りますまい』
弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った
『ここに、大麦のパン5つと、さかな2ひきとを持っている子どもがいます
しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう』
イエスは『人々をすわらせなさい』と言われた
その場所には草が多かった
そこにすわった男の数は5千人ほどであった」
(ヨハネによる福音書6章5-10節)


イエスの行う奇蹟を見ようとついてきた大勢の群衆を前に
『どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか』
との弟子たちへの問いかけは
彼らが今までイエスと共に居て
どれほどイエスのことを理解しているのか試そうとするものでした

男性の数だけでも5千人
これに女性や子どもまで入れれば
2万人は越えていたであろうと思われる群衆のお腹を満たすには
どれだけたくさんパンがあっても到底足りそうもない
ピリポは率直に常識的な答えを出し
一方アンデレは、こんなものでは足りないだろうと言いつつも
子どもの持ってきた5つのパンと2つの魚をイエスのところへ持ってきました

そこでイエスはそのパンと魚を受け取り
感謝してから、みんなに分け与えます
その後、群衆はみんな思う存分食べて、その余りを集めると
12のかごにいっぱいになりました
祈ることで、取るに足らない小さなものが大きく用いられる
この奇蹟によって人々は
神の計り知れない力と尊厳を見せられたのでした

困難に直面すると
人は簡単にもうダメだとあきらめてしまいがちですが
それは自分の価値観や常識の中だけで物事をとらえているからです
自らダメと決定する前に
まず神の前に問題を持ってきて祈れば
一見無駄に見えたものが役に立ったり
思わぬ方向に事態は動いていくものです

しかし
神にあっての冷静な判断は、信仰なくしてはできません
つまり
自分の欲が先立ち
こうでなくてはならないと自ら決め付けた価値観に固執するなら
自分の願いがかなうこと以外に本当の幸せがあるとはわからないのです

人の思いを越えたところにある神のご計画を知ること
そして、そこに至るための祈りも
信仰なくしてはできるものではありません

どんな状況にあっても神に希望を置いて祈っていく姿勢は
ちょうど帆船が帆を張って風を待つのに似ています
大海で立ち往生する時
もし帆をあげていなかったら
いつまでもそこから抜け出すことはできない
だから、いつ風が吹いてもいいように常に帆を張って待つのです

風の中には順風もあれば
逆風と思えるものもあるかもしれません
しかし、帆船は逆風でさえも上手く受け止めながら前進に利用します
大切なのは風に敏感であること
常に帆を張り、風を受けとめる操作を怠らないことです

一方、風の中には
”乗ってはいけない悪い教えの風”もあります
これは人を惑わし、欲の道に誘い、災いに導くものです
なぜわたしたちが常に神に祈っていかなければならないかというと
この間違った風に惑わされないよう
冷静に判断するためでもあるわけです

人にはそれぞれ、真と信じる道がありますが
中には独りよがりの、傍から見れば迷惑な
自分にしか通用しない道もあるでしょう
そのような自分だけに都合の良い道ではなく
神が正しいとされる道、神の義を求めて
自分が間違っているところが正され、変っていくように
心から神を信じて従っていこうとするのが信仰です
そして
その神を求めていく気持ち信じる気持ちがどこまであるのかどうか
イエスが弟子達を試されたように
わたしたちにも常に問われているのでしょう

正直言ってこんなものではどうしようもないだろうと思いつつも
5つのパンと2つの魚をイエスの元にもってきたアンデレの姿から
ダメと決め付けて何もしないのではなく
どんな問題も神の前に持ってきて祈ることと
その後を神にゆだねていく信仰の大切さを教えられます

「あなたはいのちの道をわたしに示される
あなたの前には満ちあふれる喜びがあり
あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある」
(詩篇16篇11節)


ただあきらめて何もしないのではなく
最善を尽くしたら、あとは祈って神にゆだねていく
信じる者を決して捨ておかれない神は
神にある者の喜びと楽しみを与え
いよいよ感謝して神に従う道を歩ませてくださいます
どんな時も希望を失うことなく
正しい道へと導かれていきましょう



<目次