今週のみことば


1月31日

「わたしの兄弟たちよ
あなたがたが、色々な試練にあった場合
それをむしろ喜ばしいことと思いなさい
あなたがたの知っているとおり
信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである
だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように

その忍耐力を十分に働かせるがよい
あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば
その人は、とがめもせず惜しみなくすべての人に与える神に願い求めるがよい
そうすれば、与えられるであろう
ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい
疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている
そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない
そんな人間は、二心の者であって
そのすべての行動に安定がない」
(ヤコブへの手紙1章2-8節)


わたしたちはみな
それぞれに与えられた運命や試練という十字架を持っています
その十字架は自ら好んで選んだものではなく
それを背負って生きることも容易なことではありません

よく聖書に出てくる『十字架』という言葉には2つの意味があり
ひとつは救いの意味の十字架で
イエスの十字架に頼る(救われる)ことで
それまで自分をしばりつけていた悩みや憂いから解放されるというもの
そして、もうひとつは
神から与えられた試練に従って生きる十字架です
後者は一見とても辛いことのようですが
最終的には神による喜びの中におかれるとの約束がありますから
すべてが幸いになっていくのは間違いありません

このヤコブへの手紙1章では
まず2節に、試練を喜ばしいことと思うべきと書かれています
それはなぜかという答えが、3-4節に書かれていて
試練は忍耐力を生み出し
養われた忍耐力によって
わたしたちは完全な者へと磨かれていくのだと教えています
つまりは
すべての試練はやがて益につながっていくということ
けっして無駄ではないということなのです

ところが、現実に思いがけない試練が襲ってきた時
人はとても冷静ではいられません
そして、恐れのあまり、自暴自棄になり
あるいはやっていることが支離滅裂になって
人生の歯車が上手くかみ合わなくなっていくのです
こうして、一旦タイミングが狂うと
後はすべて崩れるようにダメになっていってしまう
それはとても恐ろしいことです

このように
自分に与えられた十字架に従う時には恐れもついてきて
その恐れを取り除いて神に従うのが聖書の教える信仰生活です
もしどうすればいいのかわからなくなってしまったら
どうぞ教会に問題を持ってきてください
その行為は、神の前に重荷を下ろすことであり
消えかかった小さな希望の炎を守ってくださる神は
その祈りに必ず聞き答えてくださいます

大切なのは、疑わないこと
疑う人は「そのすべての行動に安定がない」とあります
必ず幸いになると信じてすべてを神にゆだね
自分に与えられた試練から逃げるのではなく
ある時は立ち向かい
ある時は流されながら
神の知恵をもってこの荒波を乗り越えていくのです

「愛する兄弟たちよ
このことを知っておきなさい
人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである
人の怒りは神の義を全うするものではないからである
だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って
心に植えつけられているみことばを
すなおに受け入れなさい
みことばには、あなたがたのたましいを救う力がある
そして、みことばを行う人になりなさい
おのれをあざむいて、ただ聞くだけの者となってはいけない」
(ヤコブへの手紙1章19-22節)


色々な試練や問題があるときには
まず冷静に神の言葉に聞き従うことが第一で
不用意に思うまま発言したり
自分の怒りに任せて行動するのは間違いを生む元になります
だからこそ
普段からみことばを心に留め
教えを素直に受け入れる努力をしながら
ただ自分の欲望に従って行動することがないように
言動を制していく必要があるのです
特に人間の口からは人を殺すほどの毒が吐き出されると
つづく3章には記されています

「舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する
見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか
舌は火である
不義の世界である
舌は、わたしたちの器官の一つとして備えられたものではあるが
全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる
あらゆる種類の獣、鳥、這うもの、海の生物は
すべて人類に制せられるし、また制せられてきた
ところが、舌を制しうる人は、ひとりもいない
それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている
わたしたちは、この舌で父なる主を賛美し
また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間を呪っている
同じ口から、賛美と呪いとが出てくる
わたしの兄弟たちよ、このような事は、あるべきではない」
(ヤコブへの手紙3章5-10節)


小さな舵(かじ)が大きな船を動かすように
この小さな舌から発する言葉で
良くも悪しくも大きなことが成っていきます
その同じ口でもって神をたたえ、あるいは人を呪う
人間の持つ弱さがそこにはあり
神に導かれなければ一体どうなっていくかわからない危険性を思う時
自分の力だけで自らを制していくのは非常に難しいことがわかります

「すべてのことは、あなたがたの益であって
恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ
感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである
だから、わたしたちは落胆しない
たといわたしたちの外なる人は滅びても
内なる人は日ごと新しくされていく
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて
永遠の思い栄光を
あふれるばかりにわたしたちに得させるからである
わたしたちは、見えるものにではなく
見えないものに目を注ぐ
見えるものは一時的であり
見えないものは永遠に続くのである」
(コリント人への第二の手紙4章15-18節)


目の前の、今見えている富とか名誉とか
そういうものに希望をおくのではなく
この危うい存在である人間を正しく導いてくださる神に希望をおき
神の栄光をあらわす者として
内側が日ごと新しくされていくように
みことばに従っていきましょう

信仰とは、本来誰でもできるものです
誰でもできないような信仰は信仰ではなく
神ではなく、何か別のものを見ているということで
それは実に空しい信仰です
そのような空想の信仰ではなく
生活に密着した信仰を育てるべく
みことばを正しく理解し、受け入れていくことが大切です

その人の人生が良くなるために十字架はある
どんな時にも気落ちすることなく
まず神に祈り求め
自分がこれからどうして行くことが一番いいのか
冷静に判断していきましょう



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