今週のみことば


2月7日

「それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に
しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった」
(マタイによる福音書14章22節)


この前に、群衆たちは
「5つのパンと2ひきの魚で5千人が養われる奇跡」を体験していました
その後、群衆は解散し
イエスの弟子たちだけが強制的に舟に乗せられます
イエスはそのまま山に登って夕方になってもおりて来ず
その間、舟は逆風で波に悩まされていました
そんな折、イエスは海の上を歩いて弟子たちに近づいたので
彼らはそれが幽霊だと思って驚き恐れます
しかし、それがイエスだとわかると
ペテロは自分も水の上を歩いて側へ行きたいと願い
イエスの導きに従って水の上を歩いていきますが
ふと風を見て恐ろしくなり、おぼれかけたのでした
そんなペテロに対してイエスは言います
『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』
ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまいました

「5つのパンと2ひきの魚」の奇跡を見せられた直後
今度は選ばれた弟子たちだけに新たな試練が訪れます
舟に乗ったのは自分の意思ではなく、イエスによるもので
それによってペテロは
不安と恐れで右往左往する自分達の信仰のなさに直面すると同時に
舟に乗せられたからこその「海の上を歩く」体験をするのでした

ペテロもはじめは他の弟子たちと同じく
イエスが海の上を歩く姿を見て幽霊だと恐れるのですが
彼はそれがイエスだとわかると
すぐに自分も側へ行こうとします
しかしまた、その前向きな姿勢も、風という不安材料でゆらぎ
結局は彼自身の強い意志で進むことはできませんでした
不安と恐れのつきまとう試練の中、勇気を持って進んでいくには
神の助けがなくては難しいことだったのです

ペテロがイエスから目を話して風を見たために不安になったように
疑う心は不安を招き
このため彼は『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われるのでした
このように
信仰しようにも、平安が得られなければ信じることはできず
平安のない信仰生活もまた虚しいものなのです

だからこそ、わたしたちには
試練を通して常に、自分の弱さを感じ
神を求め、その助けを体験しながら
平安を得る訓練をしているようなもので
人生はその繰り返しでもあります

ところが
「信仰しているのに病気になった」とか「災いにあった」とか
自分にとって不都合なことが起こる=神さまがいないと
決め付けてしまうのはよくあることです
しかし
そういうことで神のあるなしを判断するのではなく
今の時点で起こっていることが神の結論だと思わないことが大切です
なぜなら、事はそこで終りではなく
これから先に続く未来は誰にもわからないからで
今はその現実を受け入れるしか方法はなくても
いつまでもそのままであるとは限りません

わたしたちの目の前の現実がこれからどう展開していくのかは
神にあって、ゆだねて祈っていけば
その先は、人ではなく、神が結論を出すものです
そして
神にある者がどうなっていくのかが聖書には教えてあり
自分で結論を出してしまう人には
この聖書に約束されたみことばの意味がわからず
そこから平安を得ることもできないままなのでした

同じ神を信仰する者であっても
ひとりひとりの人生は異なっていて、歩む道も違います
しかし、その人生という舟にイエスが共に乗っていて下さるなら
どんな風が吹いてきても恐れることはなく
将来への良き希望が与えられ
幸いへと続く道しるべが示されていくのです

どんなところに置かれても
自分でもうダメだと結論を出してしまわないようにしましょう
何か神のご計画があるからこそそこに置かれるのであり
どんなところからも助け出してくださる神の力を思い出し
希望をもって祈っていくことが大切です

「彼はただひとり天を張り
海の波を踏まれた」
(ヨブ記9章8節)

この神は、天地を創造された全能の神であることを改めて認識し
そこには人間の思いを越えたご計画があることを知って
厳しい試練の中にあっても与えられる
ささやかな喜びや幸福感を大切にしながら
真の平安を与えられる信仰生活でありますように



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