今週のみことば


2月21日

「わたしは取るにたらない者で、人に侮られるけれども
なお、あなたのさとしを忘れません
あなたの義はとこしえに正しく、あなたのおきてはまことです
悩みと苦しみがわたしに臨みました
しかしあなたの戒めはわたしの喜びです
あなたのあかしはとこしえに正しいのです
わたしに知恵を与えて、生きながらえさせてください」
(詩篇119篇141-144節)


ここにある”取るに足らない者”とは
別の訳では”若い”とも表現されており
未熟で知恵に欠けた者として記されています
神から見た時には、わたしたちはみな
迷いの中に生きている”取るに足らない者”
色んな意味で人から馬鹿にされたり、不利な立場になるなど
悩みと苦しみの中に置かれる場合もあるでしょう
それでも
わたしたちは決して神の諭し(教え、命令)を忘れず
神の知恵を得て、生かされていくのです
人の知恵はしばしば愚かであっても
神の知恵は絶対に正しいのですから
その知恵にしたがって歩む時には
必ずその道は正しく、祝されたものとなります

「み顔をしもべの上に照らし、あなたの定めを教えてください」(135節)
わたしたちに必要なのは
神の示される正しい道がどこにあるのか
その判断を誤らないことです
なぜなら
わたしたちの目の前には常に迷いの道があって
それは人間的には魅力的で迷い込みやすいからです

「見よ、わたしは、きょう、あなたがたの前に祝福と、のろいとを置く」
(申命記11章26節)

「わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたも対する証人とする
わたしは命と死、および祝福とのろいをあなたの前に置いた
あなたは命を選ばなければならない
そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう」
(申命記30章19節)


こうしてわざわざ2つの道が目の前にある時
人が正しい選択をすることは容易ではありません
人間は欲に弱く、人に馬鹿にされることも恥をかくことも恐れるため
目先の、表面的なことばかりに目を向けがちで
つい安易な方へと流れて
大切な一歩を踏み出す方向を間違えてしまうのでした

以前こんな人がいました
「信仰しているのに、サラ金の借金取立てが来て困る」
と言うのです
こういう人は根本的な考え違いをしていて
元は自分が考えもなくお金を借りたのが始まりで
その責任は自分にあるということ
つまり、自ら踏み出した第一歩が間違っていたことを認識していません

本当の意味で”信仰する”とは
このような単に自分にだけ都合の良いゴリヤクのために
神さまを出しにするのではなく
歩みが正しくなるように、自分が変えられていくことを求めるものです
だからこそ
たとえ人から侮られるような立場になったとしても
そこで自分の弱さと神の戒めを学び
どのように行動することが正しいのか教えられて
賢い歩み方を選ばなくてはなりません

人生には何かを選ばなくてはならない機会は多く
その際には、”自分の信じる道=祝福の道”だと思いがちですが
それが間違っている場合も少なくありません
ちょうど、素人判断で薬を使ってはならないことにも似て
何が祝福なのか、何がのろいなのかは
神によって教えられ、導かれていかなければ
大切な第一歩を間違えて
その後の人生を損なってしまうかもしれません

人生に勝利を望むなら
自ら進んで強くなろうとする努力が大切です
そして、強くなるためには神の力と教育が必要です

「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ
主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする
主のさとしは正しくて、心を喜ばせ
主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする
主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく
主のさばきは真実であって、ことごとく正しい
これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく
また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い」
(詩篇19篇7-10節)


人間は
お恵みならいくらでも欲しいと思っていますが
自分の損失に対しては敏感でシビアなものです
そして、そういう価値観が人を惑わせ
冷静さを失わせ
間違った道へと誘うのです

すでにわたしたちは神の恵みを得て生かされていることに感謝し
どんな状況に置かれても、信仰に堅く立ち
賢く、潔い決断をしていきましょう
厳しい試練の中にも、必ず神の助けがあります
神を人生の中心においていれば大丈夫
常にそう心に刻みながら
”自分が変えられていく”という目的意識を持った信仰生活でありますように



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