今週のみことば


2月28日

「イエスは彼らに『かめに水をいっぱい入れなさい』と言われたので
彼らは口のところまでいっぱいに入れた」
(ヨハネによる福音書2章7節)


ここはよく開かれる箇所で
「カナの婚礼での奇跡」が記されています
この婚礼にはイエスも招かれていましたが
ぶどう酒がなくなってしまったために
イエスはしもべ達に『かめに水をいっぱい入れなさい』と命じます
彼らはその言葉に従って、口のところまでいっぱいに入れました
そして、そのかめを料理長のところへもっていくと
水は最高のぶどう酒に変っていたのでした

神による奇跡は
しばしばこうして回りくどい方法で
しかもギリギリのタイミングで成されています
何のためにそうするのかという具体的な説明もないまま
ただイエスの言葉に従うしもべ達
しかも彼らは、できる限りたくさんの水を汲みました

神であるならば
もっと簡単に、言葉一つで目の前の困難を変えてくださればいいのに・・と
わたしたちはつい思いがちです
しかし
誰もが、ただ楽をして生きていくことはできず
悩みや苦しみを通りながら日々暮らしていくわけですが
それぞれに与えられる痛みや苦しみを”十字架”とも表現し
その十字架を背負ってイエスと共に生きるのが信仰生活です

しかしまた
これが十字架あれが十字架と
辛いことがあれば簡単に人は十字架と言うものの
現実には、本物の十字架の苦しみは
人間には負いきれるものではありません
だからこそ神が人の姿をとり、代わって十字架にかかって下さった
そして、その十字架上で流された血にあずかる洗礼が与えられ
こうして一番苦しい方法でもって
万民救済の道が開かれたことを
わたしたちは忘れてはならないのです

「あなたがたは、このキリストによって
彼を死人の中からよみがえらせて
栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり
したがって、あなたがたの信仰と望みとは
神にかかっているのである
あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ
偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから
互いに心から熱く愛しなさい」
(ペテロの第一の手紙1章21‐22節)


かくしてクリスチャンになったわたしたちは
神によって希望をいだき
真理(=神)に従うことで魂をきよめられたのですから
やがては枯れる草の花のような人の栄華を追い求めるのではなく
永遠に朽ちることのない神の言葉をたよりに生きる者とされました
現実にはこの目で神の姿を見ることはなくても
神を愛し、信じ、平安と喜びを与えられるのは
魂の救いを得ているからに他なりません(8‐9節)

水がぶどう酒に変わったように
もし神の奇跡を体験したなら
そこから真理(=神)を悟ることが大切で
すべての栄光は神に帰するものですが
「わたしが!」と思うところに間違いが生じ
つい自分に栄光を帰そうとしてしまうのが人間の弱いところです

また
自分に与えられた神の証は
自分が格好良く見えるように脚色したり
大きく言ったり
恥の部分を隠そうとしないで
すべて正直に語るべきです
もし自分の栄光を望んでいるなら
やがて真実が明らかになった時には
大きな恥をかくことになります

「あなたは、真理の言葉を正しく教え
恥じるところのない練達した働き人になって
神に自分をささげるように努めはげみなさい」
(テモテへの第二の手紙2章15節)


せっかく神の働きを体験しても
それが神の栄光に結びつけられないなら
喜びはその時限りで終わってしまいます
本物の信仰を得て
真の平安を与えられるために
日常に起こる様々な出来事を通して
いよいよ神に近づく方向へ進んでいきましょう



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