今週のみことば


3月7日

「主はわたしのために、みこころをなしとげられる
主よ、あなたのいつくしみは
とこしえに絶えることはありません
あなたのみ手のわざを捨てないでください」
(詩篇138篇8節)


神によって何かわざが成されるというと
一般的に、日本人の宗教観では
良いことばかりが成るはずだと思いがちです
ところが
神のなされることには、一見悪く思えることもあり
冷静にその行く末を見ていかなければ
自分の人生はただつまらないものだと
不満と不安の中で愚かなことを考えてしまうことも
多々あるでしょう

しかし
神はわたしたちが幸いになるようにと
常に慈しみをもってわざを成してくださる
今、目の前にある現実が幸いとは思えなくても
”すべてのことは相働いて益となる”と信じ
神に希望を置いて進むことが信仰の根本です
そして
この根本がわかれば
愚かなことを言うことも、愚かな道を選択することもなく
真の平安を得ていくことができるのです
一方
何事においても
すべての判断を”得か損か”で決める人は
信仰の根本から外れています
その人は
目の前にある小さな感謝に気づくことなく
喜びや感謝からは遠い道を歩むことになるでしょう

この前の7節にも
「たといわたしが悩みの中を歩いても
あなたはわたしを生かし
み手を伸ばしてわが敵の怒りを防ぎ
あなたの右の手はわたしを救われます」

とあるように
悩みの中にある時には気落ちするものですが
そんな中でも神によって力が与えられる経験は
人の心を希望へと導くものです

「あなたはいのちの道をわたしに示される
あなたの前には満ちあふれる喜びがあり
あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある」
(詩篇16篇11節)


神によって示される道はいのちに至る道であり
死へ至る道ではありません
自分の思い通りではなくても
目の前にある問題は
神が一番よしとされる方法で解決されます

「いのちの泉はあなたのもとにあり
われらはあなたの光によって光を見る」
(詩篇36篇9節)


いのちの源は神にあり、光は神ご自身です
(ヨハネによる福音書1章より)
わたしたちは神の光によって神ご自身である光を見る
つまり
神から与えられる希望がわたしたちを支え
神によって神の本質を知るべく
聖書のみことばを教えられていくのです
もし、聖書を読むとき
それが光や生きる希望に結びつかないなら
読み方が間違っていると言えるでしょう

先週のみことばは
カナの婚礼において水がぶどう酒に変わる奇跡が記された箇所でした
ここで重要なのは
どんな窮地にあっても希望を失わず
神を信頼し、その言葉に従って
今、自分にできるだけのことを成していくとき
神はわたしたちに恥をかかせることなく
すべてのことを良きに変わらせてくださるということですが
もし、ここを
どこで水はぶどう酒になったのか
水を入れてすぐか、運ぶ途中か、料理長のところでか
あるいは、それは本当にぶどう酒であったのか等々
興味本位でいのちとは関係のない方向へと探索していくなら
みことばがわたしたちの心に生きることはなく
生きる力や希望へと結びついていくこともないでしょう

「わたしはいと高き神に呼ばわります
わたしのためにすべての事をなしとげられる神に呼ばわります」
(詩篇57篇2節)


時代と共にいろいろなことが変わっていき
聖書の解釈も様々な説が登場します
しかし
聖書は本来決して変わってはならないものであり
信仰の根本も変わらないものです

神が成されることには必ず証が伴い
神の約束も永遠に変わることはなく
いつの時代も、神を信じ、祈り求める者は
必ず助けを得ることができます

人生はどこにいても戦いがあり
その戦いをくぐり抜けていく秘訣を与えてくださるのも神です
どうぞこの大切な信仰の根本をつかんで
右にも左にも曲がることなく進んでいきましょう



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