今週のみことば
4月4日
「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず
あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである
このような人は、主のおきてをよろこび
昼も夜もそのおきてを思う
このような人は、流れのほとりに植えられた木の
時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように
そのなすところはみな栄える」
(詩篇1篇1-3節)
世の中において、植物は花や実が重要視されるのと同様に
人の人生もまた、表面の華やかさに人の注目は集まるものです
しかし、現実には
植物を支えているのは目に見えない根の部分で
健やかな根を育てなくては、良い花も実も生りません
そして、人間にとっても一番大切なのは根の部分であり
その心がどこに向いているか、何を考えているかによって
人の行動も、その後の結果も違ってくるのです
信仰の世界にあって
「本当に恵まれている人」とはどういう人を言うのでしょうか
それは、単に口で神さま神さまと言うだけの表面的な信仰ではなく
どんなところ(境遇、環境)にあっても
「負けないで前進する人」
「感謝する人」
そして、その結果として
「花が咲き、実が生る人」です
また、その時咲く花の種類や色や形は
自分が思い描いていたものとは違っているかもしれませんが
すべて良しとして受け入れることで
いずれ、それが本当に良かったのだとわかる日が到来し
いよいよ感謝が増し、心から喜ぶことができるようになるのです
ところが
もし自分の思い描いた花姿だけに執着するならば
仮にその思い通りの花が咲いたところで
そこには真の満足感は得られないものです
花はやがて枯れてしまう
一時的に咲く花に希望を置いていても
神の祝福がなければ、喜びも感謝も長続きはしないのです
人はみなそれぞれの価値観を持っていて
美しさの基準も、好みも
お金や名誉に対する考え方もすべて違っています
それはそれで自由ではありますが
大切な生き方に関する価値観は真理(神)に従うべきです
そうでなければ
様々な試練にあうとき、その心は冷静ではいられなくなり
「悪しき者のはかりごと」の中に取り込まれていくかもしれません
もし、神を信じることなく、自分を信じて生きているなら
冷静でない自分をどうやって制していくのでしょうか
植物にとっても人間にとっても
一番大切なのは根の部分です
心根はその人の人格を左右しますから
根の部分を正しく育てる
すなわち信仰をもって神の言葉を正しく受け入れ
根が充実した結果であるところの花や実を得るのが
本来の祝福された姿です
まずはじめに花や実があるのではなく
自分の面子を目的にした信仰生活でもなく
キリストの花嫁としての根の部分を育てることを第一とし
あとの結果についてはすべて神さまにおゆだねしていきましょう
「したがって、信仰は聞くことによるのであり
聞くことはキリストの言葉から来るのである」
(ローマ人への手紙10章17節)
「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい
あなたがたが召されて一体となったのは、このためである
いつも感謝していなさい
キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい
そして、知恵を尽くして互いに教えまた訓戒し
詩とさんびと霊の歌とによって
感謝して心から神をほめたたえなさい」
(コロサイ人への手紙3章15-16節)
世の中の多くの人は花の部分しか見ないものですが
だからこそ、良い影響を受ける友人を選ぶことも大切です
真理にそむく道に引きずられていくことがありませんように
常に神の言葉を聞き
繰り返し訓戒を受けながら
一歩一歩前進していきたいものです
「事の帰する所は、すべて言われた
すなわち、神を恐れ、その命令を守れ
これはすべての人の本分である」
(伝道の書12章13節)
「おおよそ主にたより、主を頼みとする人は幸いである
彼は水のほとりに植えた木のようで
その根を川にのばし
暑さにあっても恐れることはない
その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく
絶えず実を結ぶ」
(エレミヤ書17章8節)
わたしたちの人生には常に色々な試練が待ち構えています
そんな不安の多い境遇の中にあっても
神により頼み、常にその根を神に伸ばしている人は
どんな干ばつの時にも枯れることはありません
「神の戦い」は、「人の面子の戦い」とは意味が違っているため
人にとってはしばしば不都合なことも起きてきます
引くに引けない、そんなことは自分のプライドが許さないと
意地を張ることなく
たとえ負けたように見えても潔く引くことができる人になるために
まず第一に自分の面子や恥にこだわる習慣から離れる努力をしましょう
そうすれば
神に希望を置く人は、最終的には恥をかくことはないのです
目には見えないけれど最も大切な根に重きを置いて
各々の信仰生活を充実させ
真に幸いな人生を送っていくことができますように
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