今週のみことば


4月18日

「かれらはイスラエル人であって
子たる身分を授けられることも、栄光も、もろもろの契約も
律法を授けられることも、礼拝も、数々の約束も彼らのもの
また父祖たちもかれらのものであり
肉によればキリストもまたかれらから出られたのである
万物の上にいます神は永遠にほむべきかな、アーメン」
(ローマ人への手紙9章4-5節)


聖書によれば、神の選民であるイスラエル人は
神の子としての身分や様々な祝福の契約など
神よりのあらゆる幸いを受けることを約束されています
その一方で
わたしたち異邦人はイスラエル人とはつながりもなく
「神の民」ではありませんでした

ところが
そんな異邦人に対して救いが与えられたのは
人間の意思や努力ではなく
ただ神のあわれみによるものでした

「神はモーセに言われた
『わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ
いつくしもうとする者をいつくしむ』
ゆえに、それは人間の意思や努力によるのではなく
ただ神のあわれみによるのである」
(同章15-16節)


かくして、神の祝福はイスラエルのみならず
異邦人へも向けられていくのでした

「神はこのあわれみの器として、またわたしたちをも
ユダヤ人の中からだけではなく
異邦人の中からも召されたのである
それは、ホセアの書でも言われているとおりである
『わたしはわたしの民でない者を、わたしの民と呼び
愛されなかった者を、愛される者と呼ぶであろう
あなたがたはわたしの民ではないと
彼らに言ったその場所で
彼らは生ける神の子らであると呼ばれるであろう』」
(同章24-26節)


この「選びの民」については
テトスへの手紙でも以下のように記されています

「このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは
わたしたちをすべての不法からあがない出して
良いわざに熱心な選びの民を
ご自身のものとして聖別するためにほかならない」
(テトスへの手紙2章14節)


また、異邦人が「選びの民」になる恵みについては
以下のように記されています

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族
祭司の国、聖なる国民、神につける民である
それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを
あなたがたが語り伝えるためである
あなたがたは、以前は神の民ではなかったが
いまは神の民であり
以前は、あわれみを受けたことのない者であったが
いまは、あわれみを受けた者となっている」
(ペテロへの第一の手紙2章9-10節)


このように、異邦人であるわたしたちにも
神のあわれみによって「選びの民」に加えられるべく
洗礼と聖霊とによる救いが与えられました
しかし
ただ救いを受けたことで
何か特別な権威を持ったかのように勘違いするべきではありません
大切なことは
「良いわざに熱心な選びの民」としての生涯をおくり
世の暗やみから、神の光のうちに入れられたことに感謝しつつ
日々を堅実に歩むことです

実際のところ
自分の生き方ほど自分の自由になるものはなく
人生にあってどういう生き方を選択するかは
各々に任せられています
神を信じるも信じないも
従うも従わないも
それはすべて自由ではありますが
生き方を間違えると人生は脱線してしまいます
ましてや
「選びの民」とされた者が
世の中の間違った価値観に惑わされて脱線してしまうのは
あわれみによってこの救いに入れてくださった神に対して
とても申し訳ないことです

列王紀下5章において
らい病をわずらったスリヤの軍勢の長ナアマンは
イスラエルの預言者に助けを求めていきました
彼はそこで、病気が癒される方法を教えられますが
その示された方法が自分の意にそぐわなかったため
怒ってその場を去ろうとします

せっかく神が助けようとして下さっているのに
ナアマンは自分の持っている価値観に惑わされて
救いの道に自ら背を向けようとしていました
しかし
そんな彼を思いとどまらせたのは、忠実なしもべの忠告でした

神の示された癒しの方法は
ヨルダン川で7回身を洗うという簡単なものでしたが
簡単であってもナアマンには従いにくく
それでも、この言葉に忠実に従わなくては病気は癒されないのです
そして、ナアマンは最終的にそれに従い
その身は完全に癒されていきました

神が定めた試練には
人間は従うしかありません
そこはどうしても通らなくてはならない道であり
従った時にはじめて神の働き、助けを経験することができます

「万軍の主はわれらと共におられる
ヤコブの神はわれらの避け所である
来て、主のみわざを見よ
主は驚くべきことを地に行われた」
(詩篇46篇7-8節)


自分のこの足で神の道に踏み出し
そこで神がどういうことを行われるのかを見るのが
わたしたちにあたえられた使命です

ひとりひとりに与えられた道は
見るところ平らとは言いがたいものであっても
どうぞその道を信仰を持って歩んでいくことができますように
「選びの民」にふさわしい歩みと生き方を身につけるべく
日々祈って進んでいきましょう



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