今週のみことば


5月16日

「主はモーセに言われた
『人をつかわして、わたしがイスラエルの人々に与えるカナンの地をさぐらせなさい
すなわち、その父祖の部族ごとに
すべて彼らのうちのつかさたる者ひとりずつをつかわしなさい』」
(民数記13章1節)


モーセを指導者として、エジプトから出発したイスラエルの民は
神が与えると約束したカナンの地の前までやってきました
そこで神はモーセに
カナンの地へ偵察隊を出すよう命じます

偵察隊には各部族の長が選ばれ
彼らは40日かかってカナンの地がどういうところで
どんな作物が生り
どのような人が住んでいるかを探ってきました
そしてその報告の際に
ヨシュアとカルブを除いたほかのメンバーは
カナンの地は確かに豊かな地ではあるが
大きく強い人々がいて
彼らに勝つことなどできそうもないと悪く言いふらしたのです

それに対してヨシュアとカルブは
神が与えると約束したのだから進むべきと主張しますが
悪い報告を聞いた民は動揺して
もうエジプトに帰ろうと言い始めます
そして、なお前進を進めるヨシュアたちを石で撃ち殺そうとしたので
神はイスラエルの民がそのままカナンの地に入ることを許さず
その後彼らは、40年間の荒野の旅を強いられるのでした

何がそこに居ようとも
神が与えると約束した地は必ず与えられる
その信仰に立てたのは、ヨシュアとカルブだけでした
信仰の世界は
ただ神の言葉を信じるかどうか、それにかかっています

わたしたちが聖書のみことばを読むとき
また、教会で教えを聞くときも
信仰をもってそのまま受け入れるのと
自己流の信仰で意味を曲げてとるのでは
その先の行動は全く違ってきます
そして、その行動が人生を左右するのです

40日の偵察期間に
部族長はそれぞれの価値観でもってカナンの地を眺めました
その間に、カナンの地へ入れなくなる原因が作られた
つまりは
ここで勝手に自分の心の思いを混ぜこぜにして
神の言葉を信用しなかった人々の弱さが
全イスラエルを試練の旅へと誘ってしまったのです

聖書には、色々な教訓が記されていて
このイスラエルの民が陥った間違いについても
自分に置き換えてみる時
自分の都合や思いを優先した「自己流の信仰」では
結局、自らが天国から遠ざかっているようなものだと教えられます

このように
聖書はそれぞれが自己流に解釈し
好きなように曲げてとることもできるのですが
曲げてしまう人はやがて道を踏み外す結果に陥ります
ただ、それでも生きていけるので
いつまでも間違いに気づかない場合も少なくないのです

この40日間の偵察事件の反対のパターンが
民数記22章のバラクとバラムの話です
イスラエルの勢力を恐れたバラクは
バラムを金銀で釣ってイスラエルを呪うように持ちかけます
神はバラムに、行ってはならないと命じますが
結局彼は金銀の誘惑に負けて
バラクの元へと出かけていきました

それでも、バラムがバラクの前で祈る言葉は
イスラエルを呪うのではなく、祝福する言葉でした
こうして、神はその御旨をどんな形でも実行されるわけですが
人間の側は、そんな神を侮って
自分の考え、欲、面子などを優先させようとし
最後には、自らの不幸を招いていくのです
その後、バラムはエリコで殺されるのでした

「これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った
『人間に従うよりは、神に従うべきである』」
(使徒行伝5章29節)


自己流の信仰を本当の信仰だと勘違いしている人は
神に従っていると思いつつも
実はいつも自分の思いを優先しようとしています
しかし、どんなに自分では神に従っていると信じても
そこに成ってくることがおかしければ
何かが間違っていると悟るべきでしょう

信仰熱心な人は、自分の子どもにもその信仰を伝えようとします
しかし、もし親が自己流の信仰者で
自分の思い通りに子どもを動かそうと
その教育の際に
『わたしの言葉が神の言葉』だと
その思いを押し付けたらどうなるでしょうか
その結果は必ずゆがんだ形で表れます

それは、実は親自身が神に従っておらず
自分の欲と面子に従っている実態に気づいていないからで
そのために子どもを正しく導くことができていないのです

人はしばしば、自分の思いのままに人を動かし
ものごとを動かそうとするもので
結果的に上記のような間違いに陥りやすく
誰よりも先ず自分が己の姿を省み
聖書のみことばを自分に当てはめて素直に受け入れ
自分が変わる努力をしなくてはならないのです

人間は、いかにも信仰がありそうでも実はないのだと
イスラエルの民の間違いを通して教えられます
彼らはただ人から聞いた話だけでカナンの地をダメだと決め付けました

人間は弱いので
つい損得で動こうとしてしまいます
カナンの地へ入って本当に勝てるのか
それを人間的な目で判断して神の命令に背いてしまったわけです

神の世界は損得ではありません
神はイスラエルの民を正しく教育しようとされた
その御心を理解せず
カナンの地(天国)よりも
エジプト(世の価値観)に戻っていこうとした彼らの姿は
わたしたちが誰でも陥ってしまう可能性のあるものです

誰か偉い人が語ったからその言葉が正しいのではなく
神の言葉だから、神の価値観だから正しいのだという基本を忘れず
聖書を第一として、従って行きましょう

「わが子よ、聞け、わたしの言葉をうけいれよ
そうすれば、あなたの命の年は多くなる
わたしは知恵の道をあなたに教え
正しい道筋にあなたを導いた
あなたが歩くとき、その歩みは妨げられず
走る時にも、つまづくことはない
教訓をかたくとらえて、離してはならない
それを守れ、それはあなたの命である」
(箴言4章10-13節)


「わが子よ、わたしの言葉に心をとめ
わたしの語ることに耳を傾けよ
それをあなたの目から離さず
あなたの心のうちに守れ」
それは、これを得る者の命であり
またその全身を健やかにするからである」
(同章20-22節)




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