今週のみことば


5月23日

「『彼を知っている』と言いながら
その戒めを守らない者は、偽り者であって
真理はその人のうちにない
しかし、彼の御言を守る者があれば
その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである
それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである
『彼におる』と言う者は、彼が歩かれたように
その人自身も歩くべきである」
(ヨハネの第一の手紙2章4-6節)


「わたしはキリストにある者=クリスチャンだ」と言っても
その実、自分の思い通りにしかしない人は
真理=神はその人のうちにない、つまり
格好だけのクリスチャンだということになってしまいます

信仰者にとって大切なのは
表の姿ではなく心です
救われているといっても
世の中の荒波の中を生きることに変りはなく
信仰する人もしない人にも同じ苦労が及ぶわけですが
そんな中にあって
問題と向き合っていくためには
自分が変っていかなければならない場合が多いのです

一般的に、世の中では強い人が勝つものですが
霊の世界(神の世界)では
「己」が強いと戦いに負けてしまうものです
自分の面子や格好にこだわる人ほど
神が求める本質をないがしろにし
欲や自己中心へと流されてしまう
そして、聖書の教える価値観とはかけ離れた世界へと
引きずられていくのでした

昔話に
『菊とダリアはどちらが花の女王か?』と競い合ったとき
菊の方が選ばれたという話があります
その選考基準は「香り」でした
見かけの華やかさはダリアの方が上かもしれませんが
香りという点で菊が勝っている
そして、その香りが最も大切だと考えられたというのです

見かけの華やかさよりも、香りを選ぶ
それはちょうど
人間の表の姿よりも人間性を重視するのに似ています
聖書には、クリスチャンが持つべきは「キリストの香り」と記されているように
表向き熱心で立派に見える信仰者であるよりも
常にその心を神に向け
自分が自分がと自己主張するのではなく
自分に与えられた役割を黙々とこなしていく
そんな真摯な人間性が求められているわけです

「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け
御足の跡を踏み従うようにと
模範を残されたのである」
(ペテロの第一の手紙2章21節)


この続きには、具体的な模範例として
イエスさまご自身は罪を犯さず、偽りがなく
ののしられてもののしり返さず
人間が一番こだわる欲や面子、偉く見られたいとの思いから離れて
自分の行く末を神にゆだねたことが記されています
そして、今そのイエスを信じるわたしたちは
御足の跡を踏む、すなわちそこに残された模範に習い
それぞれの置かれたところに起こる問題に対して
冷静に判断し、正しく対処し、神の証を得ていく者とされているのです

人生はその瞬間瞬間の積み重ねです
一瞬の判断の正しさがその後の人生を左右することを思うと
わたしたちが常に神の価値観を身につけて
瞬時に正しい判断ができるよう訓練することが重要だとわかります
そして
正しい価値観の積み重ねをする日々が信仰生活なのです

「わたしにつながっていなさい
そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう
枝がぶどうの木につながっていなければ
自分だけでは実を結ぶことができないように
あなたがたもわたしにつながっていなければ
実を結ぶことはできない
わたしはぶどうの木
あなたがたはその枝である
もし人がわたしにつながっており
またわたしがその人とつながっておれば
その人は実を豊かに結ぶようになる
わたしから離れては
あなたがたは何一つできないからである」
(ヨハネによる福音書15章4-5節)


『彼に居る』『イエスにある者』というクリスチャンは
みな、ひとつのぶどうの木につながっていますが
この自然界の中でひとりの人間が持って生まれた使命を果す
つまり、その人にふさわしい実を結ぶために
一番大切なのは
どんな時にもこのぶどうの木から離れないで
神の側の価値観でもって自分の道を判断していくことです
そうすれば道を踏み外すこともなく
豊かな実を結ぶことができるでしょう

世の中には多くの惑わしが横行しています
どうぞその惑わしに陥ることのないように
常に聖書のみことばに耳を傾け
真摯な歩みに近づいていきたいものです



<目次