今週のみことば


6月27日

「あなたがしもべに施されたすべての恵みとまこととを
わたしは受けるに足りない者です
わたしはつえのほか何も持たないでこのヨルダンを渡りましたが
今は二つの組にもなりました
どうぞ兄エサウの手からわたしをお救いください
わたしは彼が来て、わたしを撃ち
母や子ども達にまで及ぶのを恐れます」
(創世記32章10-11節)


イサクの次男ヤコブは、長男エサウから家督の権をだまし取ったために
父の元より去り、伯父の家へと逃げていきます
伯父ラバンの家にあって働く彼を、神は祝されたので
ヤコブの財産は増えまし、家族も与えられ
やがて彼は神の命に従い、妻子を連れて父の家に帰ることになりました

旅の途中で、ヤコブは
自分を恨んでいるであろう兄エサウに対し、まず使者を送りました
すると、エサウはヤコブを迎えるために400人もの人を率いているというのです
この知らせを聞いたヤコブは大いに恐れ、神に祈ります

神から大いに祝され、たくさんの財産を持つようになったヤコブでしたが
彼は神の前に謙遜であり
その心情を素直に訴えたのでした
すると、ヤコブと対面したエサウは意外にも友好的で
再会を喜んでくれた上
ヤコブが持ってきた土産も受け取ろうとはしませんでした
こうして兄弟の仲は
当初ヤコブが心配したようなトラブルもなく修復されたのです

兄エサウに恨まれ、杖一本を持って家を出たヤコブが
帰って来る時には、財産を二組に分けるほどにも祝され
恐れと不安からも解き放たれたという経緯は
何もないところから、信仰一つもって道を進んでいくわたしたちの信仰生活にあっても
同様の恵みと祝福が与えられることが教えられます

ヤコブの持っていた杖は”信仰の杖”
人生は決して面白いことばかりではありませんが
どんな時にもこの信仰の杖を持って歩み続けることと
なおかつ、神の前に謙遜であることも重要です
ヤコブは自分を
「あなたがしもべに施されたすべての恵みとまこととを
わたしは受けるに足りない者」

と表現し
ここまで祝された感謝を常に忘れていませんでした
そして、兄エサウの復讐をおそれ
素直にそれを神に訴えています

かつて自分は兄をだましたのだという負い目を忘れず
そのために兄を恐れている現状を素直に認め
自分の弱さを明らかにした時
神の前に祈る祈りは聞かれ
すべての不安や悩みはたちどころに解決されていくのでした

いつもわたしたちは
「神にあって」「神と共に」進んでいきましょうと教えられますが
油断していると
いつの間にか進んではいけない道にずるずると引き込まれ
気がつくと人間性がどんどん落ちている場合があります
それほどに世の中には誘惑が多く
人をだまして陥れるワナもあちこちに仕掛けられているのです

世の中にあって成功者になったからもう神さまなどいらないと思う人もあれば
上手くいかないことで神さまがいないという人もあります
あれもダメこれもダメと
困難ばかりに目を止めていると生きていくのも嫌になり
ますます穴にはまっていくでしょう
どちらの場合にしても
神さまに対する信仰心を捨てることで
自分が間違ったことをしていてもわからなくなっていくのは恐いことです

このように、人は簡単に神さまを捨ててしまいます
そして、それは神に対して戦いを挑むようなもの
神さまなんかいない、必要ないと、戦いを挑むのは簡単ですが
その戦いをおさめるのは案外難しいことに気がついていません
自分の力を頼りとし、自分でやってやると手を振り上げたなら
その手を下ろして、神の前にへりくだるのは難しいのです

ヤコブのように
どんなに祝されたとしても
「あなたがしもべに施されたすべての恵みとまこととを
わたしは受けるに足りない者」

との気持ちを忘れることなく
また
自分の弱さを素直に認めて
その心情をそのまま神に訴えていくことができますように
それができる人は、必ず神の前に恵みを得て
すべての不安や恐れから開放されていきます

「そこで、あなたがたに言うが
なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい
そうすれば、そのとおりになるであろう」
(マルコによる福音書11章24節)


どんな状況に追い込まれても
信仰に立ち、神による希望へと目を転じて
正しい道を勇気を持って進んでいきましょう

わたしたちは二人の主人に兼ね仕えることはできません
神の心に従うのか、あるいは自分の心に従うのか
つい自分の思いに負けそうになるのが現実ではありますが
それでも、ここという時には必ず神の道を選んでいくことができますように
常にその心に信仰を保ち
すべてのこと感謝して日々歩んでいきましょう



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