今週のみことば


7月4日

「わたしは貧に処する道を知っており
富におる道も知っている
わたしは、飽くことにも飢えることにも
富むことにも乏しいことにも
ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている
わたしを強くして下さるかたによって
何事でもすることができる」
(ピリピ人への手紙4章12-13節)


人生には人それぞれの境遇があり
ある人は貧しくある人は富んでいても
貧しい人が皆不幸で、富んだ人が皆幸せなわけではありません
大切なのは
その境遇にあわせて、いかに人生を楽しくするかということです

貧しい境遇にあってはいかに節約し、工夫して暮らすか
また、富んだ境遇にあっては
自制心をもって有効にお金を使い、富をどう社会に循環させるかと
それぞれにふさわしい生き方があるわけですが
心が混乱してくると
貧しいのに更に無駄なお金を使おうと借金したり
富んでいるのにお金が有益に使えなかったり
あるいはお金が元でトラブルが起こるなど
その人にとって本当に幸いな道が開かれてこないのです

人生を楽しく有意義に過ごすには秘けつがあります
その秘けつはあらゆる境遇に対応するもので
人知を越えた神の知恵
それを得て生きていくのが信仰生活です

聖書のみことばにはたくさんの神の知恵が記されています
ところが、みことばの上辺だけをみる人には
その真意が受け取れず
一見みことばに頼っているようで
実は自分の知恵を頼りに生きている人も少なくありません

いくら聖書を読んでいても
そのみことばと実生活が一致していなければ
みことばそのものも生きた神の言葉ではなく
単なる書物の文章に過ぎないのです

「ありとあらゆる境遇に処する秘けつ」
それを与えられるためには
神と共に歩むのだという信仰が必要であり
祈って知恵を与えられることが必須です

一般的に人は困った時には誰かに相談するものですが
当教会の初代牧師であった父は
25歳で視力を失った当時はクリスチャンではなく
自分がこれからどう生きるか相談できるのは
「自分自身」と「ある祈祷師」の二人だったと言います
その「ある祈祷師」のところへ連れられて行った時には
これは怪しいと直感してすぐに帰ってきたので
あと相談できるのは自分だけになりました
そして、自分の知恵で目を治そうと考え
そのころあった無認可の薬剤を購入して注射をしたのですが
それが原因で目が治るどころか半身が麻痺し
口まで不自由になってしまったのです
あの薬を使わなければ目が見えないだけですんだのに
自分の知恵(人の情報)に頼った結末がこれでした
その後クリスチャンになった父は
今度は神さまに相談するようになっていきます

神の知恵は、世の中にある、人を利用してだますようなものではなく
真にその人を幸いに導くものです
しかし、救われてクリスチャンになった人がみんな神の知恵に頼るわけではなく
相変わらず「自分自身の知恵」や「怪しい世の中の知恵」に惑わされ
ここに「神の知恵」が加わった三角関係の中で
自分の生きる道を模索していくのです

ですから
神に対する信仰心がしっかりしていなければ
神以外の考えに魅力を感じ、心を揺さぶられてしまいます
自分と同じ考えの同志に会えば話は合うでしょうが
その考えが間違いだった場合には単に間違った方向へ盛り上がるだけで
その道が危ない道であることにも気がつきません
戦時下において、無意味な特攻で多くの命が失われるように
人の話に惑わされ自分を見失うと
失わずにすむものまで失ってしまうのです

このように
わたしたちの身の回りには常に色んな説や情報が飛び交いますが
物事の最終決定権は常に自分自身にあり
そこで祈って冷静な判断をしようとする人は
聖霊の導きによって危ないところに気づくことができます

洗礼と聖霊を受け、クリスチャンとなった人は
そこで救われたのだから信仰が完成したのではなく
そこから聖書のみことばに従う道が始まり
従うことで教えられ、神を実感し
迷う時には聖霊が導いて助け出され
常に軌道修正されながら人生を歩んでいくわけです
これを「神と共に歩む人生」といい
そこに求められるのは
いかに自分の思いを捨てて神を求めていくかという潔さでしょう

たとえ飢えていても、どんなに困っていても
そこに生きる秘けつが教えられれば
人生には不安はありません
聖書には「癒される」との言葉がよく出てきますが
癒しとは病気ばかりではなく
自分の考え方や思いが変えられていくことも重要な癒しです

「神は、神を愛する者たち、すなわち
ご計画に従って召された者たちと共に働いて
万事を益となるようにして下さることを
わたしたちは知っている」
(ローマ人への手紙8章28節)


どのような境遇にあっても
神は必ず、神を愛するわたしたちに対して
すべてのことは良かったのだと思うようにして下さいます
苦しく辛いことも多い人生ですが
それでも神を見上げて希望を持って祈り
平安を得て、幸いへと導かれていきますように

「あなたがたは、心を騒がせないがよい
神を信じ、またわたしを信じなさい」
(ヨハネによる福音書14章1節)





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