今週のみことば
7月11日
「イエスは母に言われた
『婦人よ、あなたはわたしとなんの関わりがありますか
わたしの時はまだきていません』
母はしもべたちに言った
『この方が、あなたがたに言いつけることは、何でもしてください』」
(ヨハネによる福音書2章4-5節)
イエスや母のマリアらが招かれていた婚礼の祝宴で
ぶどう酒がなくなる事態が起きました
それを見たマリアは心配してイエスに告げましたが
その時のイエスの返事は実にそっけないものでした
しかし、それを聞いたマリアはイエスの言葉を受け入れ
しもべたちにも、彼の言うとおりにするように言います
その後、イエスから水を汲んでくるように命じられたしもべたちは
運んできた水がぶどう酒に変わる奇跡を目にすることになるのでした
ぶどう酒が何とかならないものかとのマリアの願いに対して
イエスの返事はその心を不安にするようなものです
わたしたちの祈りも、時が至らなければ事は動かないため
不安やあせりも色々ありますが
そんな中で、自分のなすべき使命が与えられたら
その結果がどうなるか知らされないままでも、忠実に行動していれば
答えは必ず現れてきます
こうして、神の言葉に従うことによってどうなるのかを体験したら
その体験が心の支えとなって、次の行動を後押しし
ひとりひとりの信仰の成長につながっていくのです
聖書を読んでいて
イエスが実際に語られた言葉の数々をよく見てみると
その内容は実はかなり単純で
日々の暮らしに密着した身近な内容であることに気づきます
イエス・キリストとはどこか遠い国の神さまというわけではなく
万国どんな人にも共通する幸いな生き方を提唱して下さっているのですが
それを読んで研究する人々が聖書を難しくややこしくしてしまい
みことばに自分の考えを盛り込んでケチをつけるなど
それぞれ勝手に自分流の解釈をして
本来の教えとは程遠い思想が蔓延している現実があるようです
大切なのは
ひとりひとりの人生に与えられた試練や課題に対して
神の助けを受けながらどう対処していくか
そして、そこに神が生きて働く証が与えられることで
いよいよ神を信頼し、従っていくように
信仰が成長していくことです
それは単なる理屈の世界ではなく
信仰は実際に踏み出してみないと何も体験できません
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です
これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」
(詩篇119篇71節)
「肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが
たましいの父は、わたしたちの益のため
そのきよさにあずからせるために、そうされるのである
すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず
むしろ悲しいものと思われる
しかし後になれば、それによって鍛えられる者に
平安な義の実を結ばせるようになる」
(ヘブル人への手紙12章10-11節)
一般的に「教育」というものは、辛く厳しいものですが
”神にあっての訓練”には必ず助けがあり
その後は正しい結果に導かれていきます
しかし
聖書のみことばも
そこに何を教えようとしているかと大きく意味をとらえようとせず
細かい言葉にいちいちひっかかっているならば
その言葉は現実に生きる力には結びつきません
聖書は勉強するものではなく
日々の生活に密着したものとしてとらえなければ
せっかくのみことばも人生に生きてこないのです
「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神
神は、その豊かなあわれみにより
イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ
それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ
あなたがたのために天にたくわえてある
朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである」
(ペテロの第一の手紙1章3-4節)
「信仰」とは、ただ単に「信じている」ということではなく
神を信じ、その救いを受け入れ、神とともに人生を歩んでいくことであり
救われることでイエスご自身が身近な存在になり
「新たに生れ」「生ける望み」が与えられるのであって
信仰生活を歩む上にまず洗礼と聖霊を受けて救われることは必須なのです
「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している
現在、見てはいないけれども、信じて
言葉につくせない、輝きに満ちた喜びにあふれている
それは、信仰の結果なるたましいの救いを得ているからである」
(ペテロの第一の手紙1章8-9節)
ただイエスを信じてその救いを受けた者は
「たましいの救い」を受けた者で
この世にあって平安に生きる秘訣を得ているため
今現実には神の姿を見ることはないけれど
その実在を身近に感じることができます
だからこそ
どんなに不安が押し寄せてきても、生きる希望を失わず
神と共に前進していけるわけです
「あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは
銀や金のような朽ちる物によったのではなく
きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである」
(ペテロの第一の手紙1章18-19節)
わたしたちがこの世のむなしい生き方から救い出されるために必要なのは
金銭ではなく
「小羊のようなキリストの尊い血」にあずかる洗礼を受けることです
そこからイエスを身近に感じながら、信仰が成長していくように
さまざまな試練を通した教育がありますが
いかなる時も神に希望を置いて
祈って従い、前進していきましょう
イエスの言葉に従ったしもべたちは
水を汲んで運ぶという苦労の末
水がぶどう酒に変わる奇跡を見ました
彼らは何も難しいことを教えられたり、できないことを命じられたのではなく
単純なことを受け入れたために神の働きを見たのです
この記述は今そのままわたしたちの歩みに生かされるもので
ひとりひとりが試練の前で躊躇することなく
今自分がなすべきことは何なのかを教えられ
勇気をもって踏み出していきたいものです
<目次