今週のみことば


7月25日

「『アグリッパ王よ、あなたは預言者を信じますか
信じておられると思います』
アグリッパがパウロに言った
『おまえは少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている』
パウロが言った
『説くことが少しであろうと、多くであろうと
わたしが神に祈るのは、ただあなただけでなく
きょう、わたしの言葉を聞いた人もみな、わたしのようになって下さることです
このような鎖は別ですが』」
(使徒行伝26章27-29節)


エルサレムでユダヤ人たちに捕らえられたパウロは
自らもユダヤ人であり、かつてはイエスを迫害する者であったが
イエスによって捕らえられ、その名による洗礼を受けた後は
異邦人のための宣教者になったことを人々の前で話します

このように、パウロは誰の前へ出ても臆することなく弁明し
彼の話を聞いた総督フェストも
ユダヤ人たちが訴えるような罪をパウロに見出すことができず
彼をどう処分したものか困っていました

そこへやってきたアグリッパ王は
フェストからパウロの話を聞き、興味を持ちます
『わたしもその人の言い分を聞いてみたい』
そして、アグリッパ王はパウロの弁明を聞くことになりました

その弁明の中でパウロは
「キリストが苦難を受けること」
「死人の中から最初によみがえって
ユダヤ人と異邦人とに光をのべ伝えるに至ること」
について話したところ
フェストはパウロを『気が狂っている』と言い
それでもいよいよパウロが真実を語り続けると最後にはこう言うのでした
『おまえは少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている』

パウロの言葉を聞いた人がみな救われてクリスチャンになるように
そんな彼の切なる願いが語られた後
王も総督もその場から退場します
彼らにはパウロに非がないことはわかりましたが
彼の言葉を受け入れて救われることはしませんでした

アグリッパ王にしても、総督フェストにしても
救いの話を聞く機会も救われるチャンスもありながら
彼らは結局その時を逃しています
神の言葉を受け入れるにあたっては
たくさんの説明を聞くことが重要なのではなく
その言葉を素直に受け入れるかどうかが問題なのです

その後、皇帝に上訴しにローマへ向かう船出にあたり
風がひどく、航海は危険だとパウロは忠告しましたが
船長や船主の意見が尊重され、船は出港します
ところが、暴風が襲ってきて船は難破
もはや助かる見込みもないと思われた頃パウロが立ち上がり
人々に指示をすると、今度は彼らもその言葉に従い
やっと難を逃れていくのでした

パウロの言葉を受け入れるか否か
アグリッパ王にしても、ローマ行きの船に乗った人々にしても
それが運命の分かれ道
わたしたちの人生にあっても
「こうでなければ」と自分で決めたこだわりを捨てて
神の開いてくださる道に素直に進みだす信仰が
祝福ある道へと導いてくれるわけです

「あなたはあなたがたの神、主の聖なる民である
あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで
自分の宝の民とされた
主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは
あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない
あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった」
(申命記7章6-7節)


神の選びは、数が多いとか、力が強いとか、立派だからとか
そういうものによるのではなく
むしろ一番小さな存在であるものが選ばれ
やがてその小さな存在が大きくされることで
そこに神の栄光があらわされていくのです

「あなたの先祖たちは、わずか70人でエジプトに下ったが
いま、あなたの神、主はあなたを天の星のように多くされた」
(申命記10章22節)


人間の目でもって人の優劣を語ってみても
それは神の前にとるにたらないことです
ちょうど、サル山のサルにボスがいても、ボスとて所詮サルはサルだと
人間から見れば思うのと同じで
神から見れば、人間は所詮みな人間
ほんの小さな存在なのだということを知り
その小さな存在を生かし、用いて下さる神を信じて
どんなところにあっても希望を失わず進んでいきましょう

「もしわたしたちの福音がおおわれているなら
滅びる者どもにとっておおわれているのである
彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて
神の形であるキリストの栄光の福音の輝きを見えなくしているのである」
(コリント人への第二の手紙4章3-4節)


真の神を信じようとしない人には
惑わす者によってその心がくらまされ
聖書の福音の言葉も見えなくされてしまいます
一体どの道を歩むのかはみな自分に任されていて
神に向かえば光が、それに反して歩めば闇が待っています

人生には挫折がつきもので
挫折は人を強くもしますが
挫折と共に心が腐ってしまうことも少なくありません
落ち込むことで自暴自棄になり、いよいよ闇に向かうのは悲しいことです
神に向かって祈り、どう歩むべきなのか耳を澄まして
冷静に自分の進むべき道を選んでいきたいものです



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