今週のみことば
8月1日
「長い時が経過し、断食期も過ぎてしまい
すでに航海が危険な季節になったので
パウロは人々に警告して言った
『皆さん、わたしの見るところでは、この航海では
積荷や船体ばかりでなく、われわれの生命にも、危害と大きな損失が及ぶであろう』
しかし、百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した」
(使徒行伝27章9-11節)
ここは先週のみことばと重複する部分です
皇帝に上訴しにローマへ向かう船出にあたり
風がひどく、航海は危険だとパウロは忠告しましたが
船長や船主の意見が尊重され、船は出港します
ところが、暴風が襲ってきて船は難破
もはや助かる見込みもないと思われた頃パウロが立ち上がり
人々に指示をすると、今度は彼らもその言葉に従い
やっと難を逃れていくのでした
船主というものは、期日までに荷物が届かないと損をするので
無理してでも船を出したいものですし
また、船長は自分自身の経験に基づいて判断します
この時かれらの判断は「行く」というもので
パウロの「とどまる」という意見は受け入れられませんでした
そして、結果としては
無理に船出することで積荷や船を失い
大きな損実をこうむることになっていくのです
一方、パウロが神より示されたように
船に乗っている人々の生命はみな助かり
かれらはマルタ島にたどりつきました
そこで島の人々に親切にもてなされた際
たかれた火にパウロが柴をくべると、まむしが出てきて手に噛み付きます
それを見た島の人々は
パウロのことを人殺しで、そのため天罰が下るのだと言いましたが
パウロはまむしを火の中に振り落とし、何の害も受けませんでした
しばらくたってもパウロが元気なのを見た人々は考えを変えて
『この人は神様だ』と言い出したのです
人生には「転機」があります
転機とは一瞬のことであり
その判断によっては、良くもなれば悪くもなるという
大切な時なわけですが
もし自分の心(思い・考え)にとらわれていると
せっかくのチャンスなのに恐れて逃したり
あるいは危ない道に足を踏み入れてしまうかもしれません
人は自分の体験と知識と欲に基づいてさまざまな判断をするため
人知を超えた範囲には思考が及ばず
また、「わたしが!」という思いが強い人ほど
自分が間違っていてもどこまでもそのまま進もうとするなど
自ら落とし穴へ落ちていくことも少なくないのです
このように、その人の歩みには
その人の人格や性格が現れてきます
欲深い人は欲深い人の雰囲気になり
考え方が悪い方向へ流れていく人は
悪い雰囲気がつきまといます
信仰生活もまた、人によってその歩み方は異なり
自分の中にある間違った考えが正されなければ(正そうとしなければ)
救われてクリスチャンになっても
真にキリストの香りを持った者として成長していくのは難しいです
マルタ島の人々は
まむしに噛まれたパウロを「人殺しだからこうなった」と誤解しました
彼らにとっては、そう考えることが習慣でしたが
パウロが何の害も受けないのを見て
かれらは「考えを変えた」とあります
このように、人は自ら自分の考えや思いを変えることができるわけで
今まで自分が信じてきたことであっても、潔く考え方を変えていくこと
(別の言い方をすれば「腹をくくる」)
信仰とは、自分の都合に応じてあちこち目を移すのではなく
パウロのように神に対して真摯に祈り求めて
その言葉を信じていくという姿勢が重要なのです
ひとくちにクリスチャンといっても
神に対する思いや信頼の度合いはみな違います
人生の転機となる一瞬一瞬を大切にしながら
神に祈り、神の知恵を得て
幸いな道へと歩みだしていきましょう
<目次