今週のみことば


8月15日

「そこで、わたしは主にあっておごそかに勧める
あなたがたは今後
異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない
彼らの知力は暗くなり
その内なる無知と心の硬化とにより
神のいのちから遠くはなれ
自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして
放縦に身をゆだねている
しかしあなたがたは、そのようにキリストに学んだのではなかった
あなたがたは確かに彼に聞き、彼にあって教えられて
イエスにある真理をそのまま学んだはずである
すなわち、あなたがたは
以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て
心の深みまで新たにされて
真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた
新しき人を着るべきである」
(エペソ人への手紙4章17-24節)


人間は愚かで弱いものですが
神から遠ざかり、どう生きるべきかもわからないまま
ただ自分の考えに頼っていくうちには
たとえ間違ったことをしていても気づかず
最後には悪いことも悪いと思わなくなってくることもあります

こういった無感覚な状態に陥ると
「恥」さえもわからなくなってしまい
いつのまにか、ただ情欲に従ってほしいままに歩むような
恥ずかしい生き方をするようになりますが
聖書はわたしたちがけっしてそのような状態に陥ることがないように
常に正しい道を教えてくれるものです

自分の情欲に流され、どこまでも落ちてしまうかも知れない愚かな人間を
洗礼と聖霊とのバプテスマにより救い
それまでまとっていた「滅び行く古い人」から開放し
神にかたどられた「新しい人」に生まれ変わらせ
正しく導いてくださる神
その神の導きに従って幸いに歩むべく
わたしたちはまず神の言葉に耳を傾け、教えられなくてはなりません

信仰の世界は
神さまがああしてくれたら信じましょう
こうしてくれたら信じましょうというような
いわゆる「取引」ではありません
大切なのは、心の底から新たにされること
自分が正しく変わっていくことです

「しかし、御霊は明らかに告げて言う
後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教えとに気をとられて
信仰から離れさるであろう
それは、良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである
これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり
食物を断つことを命じたりする
しかし食物は
信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと
神の造られたものである
神の造られたものは、みな良いものであって
感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない
それらは、神の言葉と祈りとによって、きよめられるからである」
(テモテへの第一の手紙4章1-4節)


神から与えられるものでも
人は自分の都合でそれを良いとか悪いとか判断しようとします
しかし、本来神の言葉は完全でみな良いものです
神と共に歩む人生とは
その神が与えたものをみな良しとして受け入れていくこと
すべてを信じてゆだねて進んでいくことです

表向きの熱心で、信仰を演出するのではなく
心からいかに神を信頼し、寄りすがっていくかが重要で
もしその思いがなければ、それは信仰ではありません

「では、わたしたちはなんと言おうか
義を追い求めなかった異邦人は
義、すなわち、信仰による義を得た
しかし、義の律法を追い求めていたイスラエルは
その律法に達しなかった
なぜであるか
信仰によらないで、行いによって得られるかのように
追い求めたからである
かれらは、つまずきの石につまずいたのである」
(ローマ人への手紙9章30-32節)


元々神を知らなかった異邦人は
イスラエルの律法による信仰を知らず
ただイエスを信じ、その救いを受け入れることで義を得ました
つまり、心から信じ、その言葉を素直に聞き入れたからです
ところが、イスラエルは律法に固執し
イエスを信じなかった
どこまでも自分の行いで正しさを追求しようとして
ついにはそこへ至らなかったのです

「なぜなら、かれらは神の義を知らないで
自分の義を立てようと努め
神の義に従わなかったからである
キリストは、すべて信じる者に義を得させるために
律法の終りとなられたのである」

(ローマ人への手紙10章3-4節)

すべての人が救われるために
イエスは十字架にかかり血を流して下さいました
その血にあずかる洗礼によって救われることよりも
なお律法で救われようとするのは
せっかく律法の終りとなってくださったイエスを否定するものです

真理の言葉に耳を傾け
ただ信じ、救いを受け入れることで
「滅び行く古い人」から「神にかたどられた新しい人」として生まれ変わり
そこからは神と共に正しく歩むものとなること
それが幸いな人生の道のりです

右にも左にも曲がることなく
また、さまざまな不安や恐れで迷うこともなく
みことばを信じ、祈って進んでいきましょう



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