今週のみことば


8月29日

「あなたはへりくだる民を救われる
しかしあなたの目は高ぶる者を見て、これを低くせられる
まことに、主よ、あなたはわたしのともし火
わが神はわたしのやみを照らされる
まことにあなたによってわたしは敵軍をふみ滅ぼし
わが神によって石がきを飛び越えることができる
この神こそ、その道は非のうちどころなく
主の約束は真実である
彼はすべて彼により頼む者の盾である
主のほかに、だれが神か
われらの神のほか、だれが岩であるか」
(サムエル記下22章28-32節)


随分むかしのことですが
「天国は正直が土台になる」
というお説教を聞いたことがあります
世の中で生きる上には
”ウソも方便”と、トラブルを避けるための上手なウソは必要ですが
神の前には正直であることが一番
それは
この神が唯一の神であり
すべて人の心の中までご存知であることを心から信じ
信頼している証です

聖書のみことばには
「主のほかに、だれが神か
われらの神のほか、だれが岩であるか」

まず神を絶対視することと
人間が決して傲慢になってはならないことを教えています

神が共にいてくださるならば
闇を照らす光、つまり
どんな境遇に置かれても生きる望みが与えられ
やがて試練も飛び越えていける
人生の戦いに勝利する秘訣がここにあるのでした

神の御旨(ご計画)は何か?と尋ねる方もありますが
そもそも「神の御旨」とは、すなわち「みことば」であり
みことばに従う道が御旨の道なわけです

みことばの中では
それぞれが置かれた境遇にあって
如何に神を信頼し
開かれた道が仮に自分の意に沿わなくても
そこで感謝して進んでいくことができるかどうかが
各々の課題となっています

人間の側から見た時の神の御旨とは
単に自分の願いが成就する道であってほしいと願うわけですが
それとは別のところに道が開けるケースはよくあることです
そして、いつの日か振り返った時には
その道を進むことが幸いだったとわかるのです

「人は心に自分の道を考え計る
しかし、その歩みを導く者は主である」
(箴言16章9節)

「人が見て、自分で正しいとする道があり
その終りはついに死にいたる道となるものがある」
(箴言16章25節)

「人の心には多くの計画がある
しかし、ただ主の御旨だけが堅く立つ」
(箴言19章21節)


これらのみことばを本当に信じていけば
人の心は平安で
穏やかに過ごしていくことができるのですが
残念ながら人間の心は不安定で
常にいろいろな惑わしのうちにあるものです

自分では、神を信頼しているつもりでも
実は表向きの信仰生活だけになっていて
人生の土台を、神ではなく
お金や名誉、あるいは
人を惑わす”神と称するもの”に置いているかもしれません

特に色々な宗教に首を突っ込んでいる人は
惑わされたりだまされたりする人が多く
さまざまな霊の虜になって
迷いと不安の中でさまようこととなります

これが、聖書のみことばを信じ、従い
神の御旨の道を正直に歩んでいこうとするならば
感謝が与えられ、喜びが与えられ、平安が与えられるので
サタンがつけ入るスキがありません

「油断することなくあなたの心を守れ
命の泉は、これから流れ出るからである」
(箴言4章23節)


ここで”あなたの心”とは、”信仰”とも訳されており
その信仰を堅く保って進んでいれば
何が御旨の道か今はわからなくても
必ず幸いな方向へと導かれていきます

「だから、記憶しておきなさい
あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって
手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは
無割礼の者と呼ばれており
またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく
約束されたいろいろの契約に縁がなく
この世の中で希望もなく神もない者であった
ところが、あなたがたは
このように以前は遠く離れていたが
今ではキリスト・イエスにあって
キリストの血によって近いものとなったのである」
(エペソ人への手紙2章11-13節)


元はといえば異邦人であるわたしたちには
神は遠い存在でした
ところが、キリストの血による救い(洗礼)が与えられ
信じる者は誰でも救われることができるようになったのです
こうしてせっかく神にある希望を与えられる身となったからには
もう別の神々に心を寄せることなく
みことばを信じ、従っていきたいものです

神を信じる人も信じない人も
人生にあってみな一様にさまざまな試練を通されていきます
しかし、どんな厳しいところにあっても
世間をにぎわせているような薬物に逃げてしまうようなこともなく
また、問題を起こし、信用を落としてしまうことにもなりませんように
いよいよその心を神に向け
平安のうちに日々前進していきましょう



<目次