今週のみことば


9月5日

「あなたの初めは小さくあっても
あなたの終りは非常に大きくなるであろう」
(ヨブ記8章7節)


神より
”ヨブのように全く、かつ正しく正しく、神を恐れ
悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか”

と評価されたヨブ
そんな彼に大きな試練としてあらゆる苦しみが与えられ
これ以上ないほどどん底の生活が強いられます

友人たちから
何か罪を犯した罰だろうと責められても
彼には思い当たることは何もありません
嘆きと苦しみの中で
なお神を見あげて寄りすがる道を模索するヨブ
なぜ自分がこのような目にあうのかと嘆きつつ
不安と不信感で押しつぶされそうになりながら
同時に、それを行われるのは神であること
神に対して何を文句を言えるだろうかと
ヨブは神についてあらためてそこで考えさせられるのでした

「神は計りがたく大きな業を
数知れぬ不思議な業を成し遂げられる
神がそばを通られてもわたしは気づかず
過ぎ行かれてもそれと悟らない
神が奪うのに誰が取り返せよう
「何をするのだ」と誰が言いえよう」
(ヨブ記9章10-12節)


わたしたちの人生においても
「なぜこのような目にあうのか」と
神に対して文句を言いたい事もあるかもしれません
例え自分が正しくても
理不尽な仕打ちを受け、嘆きの中に落とされることもあります
神の業は人の思いをはるかに超えて
一体これがどうなっていくのか皆目見当もつきません

もう生きていたくないとさえ思っても
なお生き続けていかなくてはならない
そんな絶望の中にあるヨブに神の言葉が下ります
その内容は
ヨブが考えていた以上に神の存在は大きく、計りがたく
それに対して自分がいかに小さな存在かを思い知らされるものでした

長年信仰生活を続けてきた彼でさえ
この時はじめて神の本質を知り
それを知らなかった自分を悔いています

「あなたのことを、耳にしてはおりました
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます
それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し
自分を退け、悔い改めます」
(ヨブ記42章5-6節)


これはヨブが本当の意味で神を知った瞬間です
神はそれを確認した後
ヨブを以前にも増して祝福されるのでした

どんな信仰者も
はじめから神のことがわかっている人はいません
それぞれに与えられた試練の中で
みことばに頼り、信じ、従う過程を通ってみて
はじめて神の本質が見えてくる
これは頭で理解する世界ではなく
”今この目で見ている”と実感するもの
もしそれがないなら
時間を割いて教会へ集い、退屈な話を聞いて、ある時は献金までして
それでは損ばかりだと思うはずです

信仰歴の長い短いにかかわらず
「今頃になって神さまがわかってきたような気がする」
と言う人がありますが
この実感のある人は何か大切な本質をつかんでいて
かなり神を理解しつつあるといえるでしょう

「あなたの初めは小さくあっても
あなたの終りは非常に大きくなるであろう」

とのみことばからは
ヨブのように、最後はどん底から引き上げられる希望と共に
わからなかったこと、見えなかったことが
正しく理解できるようになる希望も与えられます

そこに至るためには
さまざまな試練のうちにあって
神への信頼を失わないように
いよいよ祈り、よりすがっていくことが大切です

「彼は望みえないのに、なおも望みつつ信じた
そのために『あなたの子孫はこうなるであろう』と言われているとおり
多くの国民の父となったのである」
(ローマ人への手紙4章18節)


信仰するとは
ただ自分の心が満足するためではなく
神の教えに従い、神と共に歩み
神にあってなされることへの感謝を忘れないことが重要です
感謝の心は天より来る
反対に、卑屈な思いやつぶやきは地から来るものです

”地”とは、言い換えれば人の心
人の心の中には、”良いもの”と”悪いもの”が同居していて
心の中に良いものを芽生えさせていくのが幸せに生きる秘訣です
そして、それをなしてくださる方が神なのです

「あなたは地に臨んで水を与え
豊かさを加えられます
神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます
あなたがそのように地を備え
うねを潤し、土をならし、豊かな雨を注いで柔らかにし
芽生えたものを祝福してくださるからです」
(詩篇65篇10節)

神のみことばによって人の心が潤い
耕され、やわらかくされて
そこに良いものを芽生えさせ、祝し、なお成長させる

神は人をただ単に試練にあわせ
できないことを強要し
最後に恥をかかせるような方ではありません

このように
人の心は常に神によってやわらかくされ
良き芽生えの準備がなされるべきでありながら
なお自分の心の中に誰にも踏み込ませない「聖域」を作り
自分が絶対変えたくない間違った思想や
神に対する不信感を持ち続けるなら
それは自らが良き芽生えを邪魔しているわけです

試練を通されるうちには
自分にとって触れられたくない部分が明らかになり
心をえぐられる思いがすることもあるでしょう
神に従うとは
そういう過程を素直に通って、自分が変わっていくことです

自分の中の間違った価値観に固執することなく
神に喜ばれる歩みをしていく人は
世の中においても認められる存在となります
計り知れない神の尊厳と力を認識し
その本質に気づいていくことができますように



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