今週のみことば
9月19日
「エレミヤがなお監視の庭に閉じ込められている時
主の言葉はふたたび彼に臨んだ
『地を造られた主、それを形造って堅く立たせられた主
その名を主と名のっておられる者がこう仰せられる
わたしに呼び求めよ
そうすれば、わたしはあなたに答える
そしてあなたの知らない隠されている事を、あなたに示す」
(エレミヤ記33章1-3節)
エレミヤが監視の庭に閉じ込められている時とは
すなわち、わたしたちにとっては「行き詰っている時」であり
そんな時にも神の言葉は必ず臨み
自分でその言葉を聞こうとする人
神を呼び求める人には
必ず答えがあると聖書は教えています
わたしたちは自分の常識の範囲で物事を考えますが
神のなされることには「あなたの知らない隠されている事」も多く
呼び求める人には
隠されていたことが示されるというのです
「ああ主なる神よ、あなたは大いなる力と
伸べた腕をもって天と地をお造りになったのです
あなたのできないことは、ひとつもありません」
(エレミヤ記32章17節)
人間は、すると言ったことでも途中で投げ出す人もよくあるものですが
神にはできないことはありません
わたしたちの神は天と地をお造りになった方であり
全能の主です
このように、神は完全であり
キリストの体である教会もまた完全な存在ではありますが
そこで人を導く牧師は人間ですから完全ではありません
聖書や信仰についての疑問には
完璧に相手を納得させる形で答えることは難しいことですし
神が居られる証拠を目の前に提示することを求められても
それはできない相談です
聖書によれば
信仰者の姿勢はあくまでも能動的なもので
自らが神を求めて、信じて祈っていくというものであり
そこに神が働いて、ひとりひとりを成長させてくださるわけです
「み名を知る者はあなたに寄り頼みます
主よ、あなたを尋ね求める者を
あなたは捨てられたことがないからです」
(詩篇9篇10節)
「彼はわたしを愛して離れないゆえに、わたしは彼を助けよう
彼はわが名を知るがゆえに、わたしは彼を守る
彼がわたしを呼ぶ時、わたしは彼に答える
わたしは彼の悩みの時、共にいて
彼を救い、彼に光栄を与えよう
わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救いを彼に示すであろう」
(詩篇91篇14-16節)
「み名を知る者」とは
神を知り、信じて寄り頼み、救いを受け、みことば従って行く人です
その人は、生涯にわたって神の助けを得て
神の救いが何であるかを身をもって知ることになるのです
わたしたちの神は
信じて求める者には救いを与え
事をはじめ、事を成し遂げてくださる方
決して中途半端に終らせる神ではありません
「主は言われる
わたしがあなたがたに対していだいている計画は
わたしが知っている
それは災いを与えようというのではなく
平安を与えようとするものであり
あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである
その時あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る
わたしはあなたがたの祈りを聞く
あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う
もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば
わたしはあなたがたに会うと主は言われる」
(エレミヤ記29章11-14節)
神のご計画というものは
神以外には誰にもわからないものですが
確かなことは
そのご計画は平安と、将来の希望を与えようというものです
今、目の前の面白くないことばかりに目を留めていたら
いくら救いを受けた人であってもその心は恵まれないでしょう
あるいは、心配が先立って
神の前から離れてしまうこともあるかもしれません
どんな時も一心に神を求め
神に会う道を選んで
希望ある人生を歩んでいくことができますように
みことばによって教えられ
従っていく努力をして参りましょう
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