今週のみことば
10月16日
「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し
まだ見ていない事実を確認することである
信仰がなくては、神に喜ばれることはできない
なぜなら、神に来る者は
神のいますことと、ご自身を求める者に報いてくださることを
必ず信じるはずだからである
信仰によって、アブラハムは
受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い
行く先を知らないで出て行った」
(ヘブル人への手紙11章1、6、8節)
わたしたちの人生は
自分が思い描くものとは違った方向に進みがちで
先の見えない展開に不安を覚えることも多いものです
この”どこに連れて行かれるのかわからない”状況下で
それでも必ず幸いになるとの確信を持って進むことは
信仰なくしてはありえません
このように、たとえ”行く先”が告げられず
目の前の道も閉ざされて途方にくれる時でも
神を信じて求める信仰者には
必ず神の知恵が与えられ
出会いやチャンスも訪れるのは感謝なことです
「彼は地に倒れたが、その時
『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』
と呼びかける声を聞いた
そこで彼は
『主よ、あなたはどなたですが』と尋ねた
すると答えがあった
『わたしは、あなたが迫害しているイエスである
さあ、立って、町にはいって行きなさい
そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう』」
(使徒行伝9章9章4-6節)
イエスの弟子たちを迫害することに燃えていたサウロ(パウロ)は
突然の天からの光で目が見えなくなりました
地に倒れたサウロにイエスの言葉がくだり
ただ『さあ、立って、町にはいって行きなさい』と求められ
その先のことは行けばわかるというのです
パウロにとっては思いがけない運命の転換の時でした
さまざまな転換期において
聖書には「起きよ」「立て」といった呼びかけがあり
それに従った人々は必ず幸いへと導かれていきました
これは現在を生きるわたしたちにも同じ事で
行き詰ったり困ったり悩んだりする時には
ただ困った困ったと座り込んで何もしないのではなく
まず神の前に祈り、知恵を与えられて
その先の展開はわからずとも
希望をもって進みだすことが大切なのです
この、まず@立とうとすることと、A従おうとすることは
誰でも自分の意思でできること
実際に踏み出すまでには時間がかかるとしても
@Aまでは自分が選ぶことです
信仰というのは
ただ”持っている”というものではなく
実際に立ち上がって前へ進もうとしなければ
それが神の業につながってこないのです
あれほどイエスを迫害することに熱心であったパウロでさえ
全く反対の道へと導かれていったように
ひとりひとりにはちょうどいい神のご計画があり
自然とそちらへ導かれていくわけですが
それでもなお自分の心の(欲の)声を優先し
神の声を封印していくならば
本当の幸いに至るまで回り道したり
何度も同じような失敗を繰り返すようになるでしょう
「キリストは御子として
神の家を治めるのに忠実であられたのである
もしわたしたちが
望みの確信と誇りとを最後までしっかりと持ち続けるなら
わたしたちは神の家なのである」
(ヘブル人への手紙3章6節)
「兄弟たちよ、気をつけなさい
あなたがたの中には、あるいは不信仰な悪い心をいだいて
生ける神から離れ去る者があるかもしれない」
(ヘブル人への手紙3章12節)
神が用意してくださっている行き先に
一体どのような条件が整えられているのかはわかりません
聖書のみことばをばかばかしいと思うも
それを良しとして信じるのも
各々がスイッチを切り替える権限を持っています
色んなことを思い悩むよりも
神のみことばを信じて従う道を選ぶ人は幸いです
これはただ闇雲に高いところから飛び降りることではありません
信じて祈れば必ず進むべき道は示され
道は自然と無理なく開かれていくものです
ふとやる気が起こるのも
意外なチャンスが訪れるのも
ちょうど良いときにちょうどいい出会いがあるのも
すべては神によるもの
今の状況がどうであれ
神にあって立っていく
その信仰をもって進んでいきましょう
わたしたちは神の福音の証人として選ばれ救われたのです
ひとりひとりが義の実を結び
神にある者の幸いを体現していくことができますように
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