今週のみことば


10月23日


「その時、ペテロが聖霊に満たされて言った
『民の役人たち、ならびに長老たちよ
わたしたちが、きょう、取調べを受けているのは
病人に対してした良いわざについてであり
この人がどうしていやされたかについてであるなら
あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい
この人が元気になってみんなの前に立っているのは
ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを
神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである
このイエスこそは
”あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石”なのである
この人による以外に救いはない
わたしたちを救いうる名は、これを別にしては
天下の誰にも与えられていないからである』」
(使徒行伝4章8-12節)


イエス・キリストの名によって足のきかない人が癒されたことは(3章記述)
イエスを迫害する律法学者や長老、役人たちにとっては実に不都合なことで
奇跡を見た人々がいよいよ使徒たちの語ることを熱心に聴き、信じたため
ついに使徒たちを取り囲んでの尋問が始まりました

しかし、どんなに権威のある人々が詰め寄っても
使徒たちはイエスの名による救いと信仰を語り続け
さらにそこには癒された本人の姿もありましたから
それを見聞きした人々はどうにも返す言葉がないのでした

信仰の実践の様子を具体的に知る方法は
一番新しくてもこの使徒行伝に記された時代の記述に頼る以外になく
それはもう2千年も昔の話であっても
わたしたちは現在の信仰生活にこの聖書の記述をあてはめていきます
それは
2千年前も現在も、そしてこれからも
「わたしたちを救いうる名」はイエス以外にはないからです

侮られ、捨てられた石が家の土台石になる
その教えの通り
ある人々はばかにするようなこの信仰によって
わたしたちは今日まで生かされ、支えられてきました
神を土台とした人生であるならば
その節目からは必ずその人にちょうどいい芽が出てきます

「神は唯一であり
神と人との間の仲保者もただひとりであって
それは人なるキリスト・イエスである
彼はすべての人のあがないとしてご自身をささげられたが
それは、定められた時になされたあかしにほかならない
そのために、わたしは立てられて宣教者、使徒となり
(わたしは真実を言っている、偽ってはいない)
また異邦人に信仰と真理とを教える教師となったのである」
(テモテへの第一の手紙2章5-7節)


使徒たちは
神が唯一であることと
その唯一の神が人との仲保者となってくださった方がイエスであることを証し
そのためにしばしば危ない目にあってきました
それでも彼らはそれを証するために立てられたのですから
どこへ行っても臆せず真理を語り続けます

わたしたちもまた自分自身が神を証する存在であり
自分が今こうして生かされていることはイエスの救いによることと
その信仰の土台の上に日々を生きていることを
自らに、あるいは周りに語るものです
こうして自分自身の信仰を養い
またその生き方をもって周りに神を証するわけですが
その意味がわかる人は必ずあります

「そして言われた
『聞く耳のある者は聞くがよい』」
(マルコによる福音書4章9節)


神の言葉を聞く耳を持っている人は幸いです

「預言者たちもみな、イエスを信じる者はことごとく
その名によって罪のゆるしが受けられると、、あかしをしています」
(使徒行伝10章43節)

「”キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世にきて下さった”
という言葉は、確実で、そのまま受け入れるに足るものである
わたしはその罪人のかしらなのである
しかし、わたしがあわれみをこうむったのは
キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し
そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである
世々の支配者、不朽にして見えざる唯一の神に
世々限りなく、ほまれと栄光とがあるように、アァメン」
(テモテへの第一の手紙1章15-17節)


イエスの名による救いを受け
イエスを信じて幸いな人生を送ることは
目先の華やかさを求める生き方とは異なります

花の時期は華やかで、人々はそこに目を向けがちではありますが
人生にあって本当に大切なのは花の散った後どんな実がなるかです
驚くような神の奇跡を体験した人でも
それで信仰の実が残るとは限りません
たとえ自分の望みがかなっても
それですべての人が満足し、神に感謝するわけではないからです

どんな素晴らしい神のわざを見ても
そこに感謝がなければ教会へ行こうとは思わないし
信じていなければ祈ろうとも思わないでしょう
わずかであっても
わたしたちに”神への思い”があるならば
その信仰を土台として成長することができます

どんな状況にあっても信仰を失うことなく
いよいよ神を求めて進んでいきましょう
2千年前も今も真理はいつまでも変わりません
聖書に記されたみことばを信じ
そこから生き方を学んで
幸いな実を結ぶ人生を歩んでいくことができますように。。



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