今週のみことば
11月20日
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている
だれでもわたしの声を聞いて戸を開けるなら
わたしはその中にはいって彼と食を共にし
彼もまたわたしと食を共にするであろう」
(ヨハネの黙示録3章20節)
聖書に記された救いの道は、万民に向けられたものであり
自らが心を開いてそのみことばを受け入れるなら
わたしたちは誰でも聖霊を受けることができ
イエスご自身が常に共にいて
わたしたちを助け導いてくださいます
このような真理が語られても
もし聞く気がなければ、受け入れる気がなければ
事は成就しません
その選択は各々に任せられているものですから
心の扉を開ける人は幸いです
「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった
なんの不自由もないと言っているが
実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者
貧しい者、目の見えない者
裸な者であることに気がついていない」
(同章17節)
自分にはお金があるから、権力があるから
だから何の心配もないと思っている人こそ
実は最もみじめで、心貧しく、物事を正しく見る目を持たず
恥ずかしい状態であることに気づいていません
その哀れな状態から救い出されるために
聖霊と洗礼のバプテスマを受けて救われ
正しい価値観へと改めて歩むようにと
みことばは勧めています
「わたしはあなたのわざを知っている
あなたは冷たくもなく、熱くもない
むしろ、冷たいか熱いかであってほしい
このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので
あなたを口から吐き出そう」
(同章15-16節)
聖書のみことばを信じて神に従うのか否か
信仰について熱心であるのか、冷ややかであるのか
みことばはそのどちらかにせよと語ります
中途半端では結局神の働きもよくわからないまま
いつまでも進歩がありません
「ところが、パリサイ人やその律法学者たちが
イエスの弟子たちに対してつぶやいて言った
『どうしてあなたがたは、取税人や罪人などと飲食を共にするのか』
イエスは答えて言われた
『健康な人には医者はいらない
いるのは病人である
わたしがきたのは、義人を招くためではなく
罪人を招いて悔い改めさせるためである』」
(ルカによる福音書5章30-31節)
元気な人に医者は必要ないように
自分の力で生きていると思う人にとって
神の助けは必要とされません
本当は万民に対して救いは必要ですが
自分の弱さや愚かさ、小ささ、頼りなさを知る人でなければ
なかなか神を求めることもしないものです
また、聖霊と洗礼を受けて救われた後でも
聖書の教える真理をつかむことなく
ただ自分が成功者になれば良いと思う気持ちが強ければ
仮にその望みはかなえられても
結局それで心が貧しくなってしまい
神にある者が本来あるべき姿からは程遠くなるでしょう
本当の意味で神によって「恵まれた」ならば
人は良い方向へと変わっていきます
たとえ試練の中に置かれても
卑屈な姿にならず
卑しい行動に走らず
堂々と正しく生きることこそ恵みだからです
神を信じ、恐れ、そのみことばを守っていくという
神にある者の本分を見失うことがありませんように
そのためにも、聖書に親しみ
みことばを教えられ
それを心に留めて進んでいくことが大切です
「まず次のことを知るべきである
終わりの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて
自分の欲情のままに生活し
『主の来臨の約束はどうなったのか
先祖たちが眠りについてから
すべてのものは天地創造の初めからそのままであって
変わってはいない』と言うであろう」
(ペテロの第二の手紙3章3-4節)
聖書のみことばを、神の約束を信じることも
信じない人にとってはばかばかしく思われるので
聖書の内容についてもとかく議論の対象になりがちですが
わたしたちは例え聖書にわかりにくいところが色々あったとしても
それはそれで無理な解釈をすることなく
本当の意味で恵まれた人になるように
教えられたことに素直に聞き従っていきましょう
「その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって
無学で心の定まらない者たちは
ほかの聖書についてもしているように
無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている
それだから、あなたがたはかねてから心がけているように
非道の者の惑わしに誘い込まれて
あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい」」
(同章16-17節)
世の中では色々な教えが語られる昨今ですが
わたしたちは聖書の語る真理を信じ
その変わることのない祝福の約束を信じて
希望をもって進んでいきたいものです
<目次