今週のみことば
11月27日
「彼はその夜起きて
ふたりの妻とふたりのつかえめと11人の子どもとを連れて
ヤボクの渡しをわたった
すなわち彼らを導いて川を渡らせ、また彼の持ち物を渡らせた
ヤコブはひとりあとに残ったが
ひとりの人が夜明けまで彼と組打ちした
ところでその人はヤコブに勝てないのを見て
ヤコブのもものつがいにさわったので
ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた
その人は言った
『夜が明けるからわたしを去らせてください』
ヤコブは答えた
『わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません』
その人は彼に言った
『あなたの名はなんと言いますか』
彼は答えた『ヤコブです』
その人は言った
『あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい
あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです』」
(創世記32章22−28節)
兄エサウを裏切り、家督の権を奪い取ったヤコブは
兄の復讐を恐れて、叔父ラバンのところへ逃げていきましたが
その地にあっても神はヤコブを祝されたので
彼は財産も家族も増えていき
やがて父のいる故郷へ帰ろうと決意します
しかし、その帰路でヤコブはずっとエサウの復讐を心配していました
先立ってつかわした使者の報告によれば
エサウはヤコブを迎えるために400人もの人を率いて来るというのです
そこでヤコブは神に祈りました
「あなたがしもべに施されたすべての恵みとまことを
わたしは受けるに足りない者です
わたしは、杖のほか何も持たないでこのヨルダンを渡りましたが
今は二つの組にもなりました
どうぞ兄エサウの手からわたしをお救いください』(10-11節)
その後、家族と持ち物を先に渡らせてひとり残ったヤコブは
思いがけず神と格闘することになりますが
彼はその争いに勝った者として
今後その名をイスラエルと名乗るように命じられました
この格闘の最中に、神はヤコブのももの関節をはずされたため
ヤコブは足を引きずる不自由な身になりましたが
人間的には無力になる一方で
神の働く者としての名をいただき
その後の人生は
常に神が後ろにあって後押ししてくださる道を歩むことになるのでした
ふり返ってみると
エサウから逃げて叔父ラバンのところへ行っても
そこには数々の苦労が待ち受けていました
それでも
”杖のほか何も持たないでこのヨルダンを渡った”ヤコブがここまで祝されたことは
すべては神によるものです
どんな忍耐の日々であっても
どんなにか遠回りの人生のようであっても
その忍耐は決してひとりで背負っているものではなく
いつかはトンネルを抜け出るときが来るのです
やがて、400人もの人を引き連れたエサウと対面する時も
ヤコブは7回も地にひれ伏しながら兄に近づいていきますが
エサウはそんなヤコブの元に走りよってきて彼を歓迎するのでした
こうして、ヤコブが一番心配していたような事態は起こらず
彼ら兄弟はその後それぞれの地にトラブルもなく別れていくのです
人生には
なぜこんなことが起こるのだろうかと思うことは多いですが
それでも神を信じ、黙々とその道に従う人には
必ず神よりの恵みがあります
信仰の火種(聖霊)は
必要な時に必ず助けとなるものですから
どんな時も失望せず、希望をもって進んでいきましょう
この信仰は、単なるイメージだけのものではなくて
神が立証してくださるものです
祈って進み出せばそこには必ず証が伴う
そのために必要なのは
そこで試練を受け入れる忍耐です
「それだけではなく、患難をも喜んでいる
なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し
練達は希望を生み出すことを知っているからである
そして、希望は失望に終ることはない
なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって
神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」
(ローマ人への手紙5章3-5節)
「忍耐」によって生み出される「練達」とは
何があっても神を信じるとの域に達していくことであり
そこには神の立証が伴います
その証があるからこそいよいよ神の助けを確信し
次の「希望」へと導かれていくわけです
「わたしたちの兄弟よ、あなたがたが、いろいろな試練にあった場合
それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい
あなたがたの知っているとおり
信仰が試されることによって
忍耐が生み出されるからである」
(ヤコブの手紙1章2-3節)
今、物事が上手くいかないから信仰する人と
物事が上手くいっているから信仰する人があるように
人の思いは様々ですが
困ったときも、反対に嬉しいときも
どんな時も変わらず神に信頼して
本当の信仰の奥義を悟るべく
神を求めていきましょう
わたしたちは決してひとりで頑張っているわけではありません
何か事が起きたときこそ
その心にあるもの(信仰)が生きてくるもの
それこそが信仰者の強みです
「だからわたしたちは、はばからずに言おう
『主はわたしの助け主である
わたしには恐れはない
人は、わたしに何ができようか』」
(ヘブル人への手紙13章6節)
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