今週のみことば
12月25日
「ペテロがイエスに言い出した
『ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従って参りました』
イエスは言われた
『よく聞いておくがよい誰でもわたしのために、また福音のために
家、兄弟、姉妹、母、父、子、もしくは畑を捨てた者は
必ずその百倍を受ける
すなわち、今この時代では家、兄弟、姉妹、母、子および畑を迫害と共に受け
また、きたるべき世では永遠の生命を受ける
しかし、多くの者はあとになり、後の者は先になるであろう』」
(マルコによる福音書10章28-31節)
人間にとって「捨てる」という行為はとても難しいものです
いつか必要になるかもしれないからと
いつまでも不要な物を貯めておくのは賢いことではなく
自分自身その不要なもののために苦労することも多いわけですが
こういう執着心というものからはなかなか離れがたいものでもあります
執着心とは、それを頼りにしようとすることろから生まれ
たとえば、家柄に執着する人は
家柄が自分を守ってくれるように思うことから
そのしきたりの不自由さの中に自らを閉じ込めてしまうのです
人間が生きていく上に
お金も住む家も親兄弟親族もみな大切で必要なものですが
お金がありさえすれば
この家柄がありさえすれば
土地財産がありさえすれば
有力な親兄弟に頼りさえすれば
どんなことが起きても大丈夫とばかりに寄りすがる生き方では
それらを失った時には生きる希望もなくなってしまいます
もし、ある日多額の財産を手に入れたなら
あれがあるから大丈夫と安心するでしょうが
人はそのようなものを手にすると冷静さを失い
計算どおりではなく、無駄ばかりしてしまうようになるものです
神と共に歩む信仰生活では
神以外のものをよりどころとしません
そして、神をあがめることこそが信仰の基本
神に忠実であるがゆえに、神にすべておゆだねしていくがゆえに
わたしたちは忠実な者として祝福を与えられるのです
そして
その結果として財産が増し加えられ
思わぬ名誉が与えられることは感謝ですが
そういうものを決してあてにして生きるのではなく
ずっと神にすべてをおまかせして頼っていくことが大切です
わたしはすべてを捨ててイエスに従ったとペテロは言っていますが
実際に彼は家族も仕事も置いてイエスについていったわけではありますが
その心がすべて物欲や名誉欲から離れていたわけではなく
その証拠に、弟子たちは後に、誰が一番偉いとか
くだらないことを競っていくようになりました
それは彼らにはまだ大切なもの(真理)が見えていなかったからです
わたしたちもまだその心の中には捨てきれない思いがありますが
それらを自分の力で取り除くのは非常に難しいように思えます
しかし、27節には
「イエスは彼らを見つめて言われた
『人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである』」
とありますから
いよいよ神によりすがって
本当に大切なことを教えられていくことが大切です
教会の中でも
わたしは信仰歴何十年と、その年数を誇っているような類の人は
「多くの者はあとになり、後の者は先になるであろう」
とのみことばのごとく
自らの誇りのために真理をつかむ機会を逃して
後から来た素直な信仰者に追い越されていくのです
46節からは、バルテマイという盲人のこじきの話が出てきますが
彼はイエスから『わたしに何をしてほしいのか』と聞かれ
『見えるようになることです』と答えました
そして彼は本当に見えるようになった
わたしたちもまた
この目でしっかりと正しいことを見極めていくことができますように
大切な真理をつかんでいくことができますように
そのために
神以外のものに希望を置くのではなく
真に神を求めてより頼んで祈っていきたいものです
年の終わりにあたり
この一年がどういう年であったかと思い返す時
祈ってもこんなことしかならなかったと思うか
祈ってこれだけ助けられて今日まできたと感謝するかで
その人の迎える新年は異なったものとなるでしょう
神にある人は、希望のある見方をします
同じ落ち葉を見ても
これから暗い冬が来ると思うよりも
これは春が来る前の準備なのだと希望を持つと
随分違ったイメージになるものです
現代社会において神を信じる人は少ないかもしれませんが
この難しい時代だからこそ神の知恵と力が必要で
その神の領域から与えられる力でもって生かされていくわたしたちは
どんなところにあっても常に希望と隣り合わせです
『行け、あなたの信仰があなたを救った』(52節)
今年も主イエスさまの祝福と守りのうちに
ここまで導かれましたことを感謝いたします
ハレルヤ
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