今週のみことば


1月23日


「イエスは彼に言われた
『あなたはわたしを見たので信じたのか
見ないで信ずる者はさいわいである』」
(ヨハネによる福音書20章29節)


よみがえったイエスが弟子たちの前に現れた際
その場にいなかったトマスは
あとから話を聞いても信じることができず、こう言いました
『わたしは、その手に釘のあとを見
わたしの指をその釘あとにさし入れ
また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ決して信じない』

その後、トマスも含めた弟子たちが居る所へ再び現れたイエスは
トマスに向かってこう言われました
『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい
手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい
信じない者にならないで、信じる者になりなさい』

イエスの復活がとても信じられなかったトマス
そして、その事実を目の当たりにしてはじめて信じたトマス
彼の思いは、普通の人にとってごく当たり前のものです
ですから
『見ないで信ずる者はさいわいである』
とのみことばは
わたしたちにとって信仰の課題であり
日々の不安や悩みと戦う上においても
常に”見ないで信じる者”であるようにと語っているわけです

このヨハネによる福音書20章で
復活したイエスはまずマグダラのマリヤに現れています
墓の中にイエスの遺体がないことに驚いて嘆くマリヤ
動揺している彼女に問いかけるイエスの言葉は
『女よ、なぜ泣いているのか』

また、次に弟子たちが集まっているところへ現れた時の第一声は
『安かれ』
更に、今度はトマスも一緒にいる時に現れた際の第一声も
『安かれ』でした

続く21章において
漁に出ても獲物がとれず落胆している弟子たちのところへ現れたイエスは
やはり『安かれ』と語りかけています
その後、イエスの指示に従って網を下ろすと
今度はたくさんの魚がとれました
そして彼らはやっとその方がイエスであると気づいたのでした

かつてイエスと共に行動し
その奇跡も不思議も多く見てきた彼らが
ひとたび目の前からイエスがいなくなってしまうと
以前イエスから教えられていたことも忘れ、復活も信じられず
ただ不安の中で過ごしている様は
信仰者としては情けない状態ですが
これらはみなわたしたちにも共通する心理です

信じているはずなのに
そしてこれまでもたくさん助けられてきたはずなのに
何か起こればすぐ不安になり動揺する
そんな人間の弱さをご存知だからこそ
『なぜ泣いているのか』『安かれ』と
叱ることなく穏やかに語りかけてくださるところから
そこには常に愛があることがわかります

「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが
彼を愛している
現在、見てはいないけれども、信じて
言葉につくせない、輝きに満ちた喜びにあふれている
それは、信仰の結果なるたましいの救いを得ているからである」
(ペテロの第一の手紙1章8-9節)


今、イエスの姿を見る事はないわたしたちですが
悩みの中で動揺する時には祈っていくと
聖霊の働きにより
『安かれ』と平安が与えられ
これから先どうすればいいのか知恵が与えられるのは
みことばに記されている弟子たちの体験と同じです

トマスはイエスの姿を見ないと信じないと言いましたが
そんな彼に対しても
『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい
手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい』と
そんな無礼なことを許してまでも信じてほしいと言われているのです

ルカによる福音書5章において
シモンの舟に乗り込んだイエスは
そこで群衆に教えた後、シモンに漁をするよう勧めています
すでに夜通し働いても何の収穫もなかったシモンですが
イエスの言葉を信じて従い
結果として網が破れそうになるほどの収穫を得たのでした

『先生、わたしたちは夜通し働きましたが何も取れませんでした
しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう』(5節)


ここでシモンは
まず豊漁という結果を見てイエスを信じたのではなく
イエスの言葉だからということで信じたのです

わたしたちは洗礼と聖霊による救いを受けていても
病気や災いにもあうでしょう
それでも祈っていけばなんとかなる
その思いだけで支えられ、前を向いて生きています

人生色んなことはあるけれど
神を信じて希望を持って生きてほしい
それが神の御旨であり、切なる願いです
そして、その願い通り生きていこうとするのが従うということ

「イエスは、この書に書かれていないしるしを
他にも多く、弟子たちの前で行われた
しかし、これらのことを書いたのは
あなたがたがイエスは神の子であると信じるためであり
また、そう信じて
イエスの名によって命を得るためである」
(ヨハネによる福音書20章30-31節)


ヨハネもまた
神の御旨どおり
多くの人がイエスの名を信じ、救われて命を得
神にあって幸いな人生を送るために
この書を記したのでした

聖書に記されたことは単なる昔話ではなく
みな現在のわたしたちに必要なことばかりです
そして、かつて行われた奇跡も
形を変えて各々の上に成就し
”見ないで信じる者”はいよいよ幸いへと導かれていくのです

自分の人生がすべて自分の計画通りにいくべきとの考えから
神のご計画にまかせていく方向へと変えられ
真の平安な生き方を与えられていきますようにと
祈ってまいりましょう



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