今週のみことば
1月30日
「ヤハジエルは言った
『ユダの人々、エルサレムの住民、およびヨシャパテ王よ、聞きなさい
主はあなたがたにこう仰せられる
”この大軍のために恐れてはならない
おののいてはならない
これはあなたがたの戦いではなく、主の戦いだからである”』」
(歴代志下20章15章)
大軍が攻めてくることを知ったヨシャパテ王は
恐れて、神に助けを求めました
『われわれはこのように攻めてくる大軍に当たる力がなく
またいかになすべきかを知りません
ただあなたを仰ぎ望むのみです』(12節)
この時、預言者ヤハジエルを通じて神の言葉が伝えられます
常識的には到底勝つことなどありえないこの戦いは
人の戦いではなく、神の戦いであること
だから、神の言葉に従って出て行くべきこと
そして、これから起こることも、それに対してどう対処すべきかも
すべて具体的に教えられ
ヨシャパテ王以下国民すべては地にひれ伏して神を拝しました
『この戦いには、あなたがたは戦うに及ばない
ユダおよびエルサレムよ
あなたがたは進み出て立ち
あなたがたと共におられる主の勝利を見なさい
恐れてはならない
おののいてはならない
あす彼らの所に攻めて行きなさい
主はあなたがたと共におられるからである』(17節)
その後彼らは指示通り敵の前に出て行きます
そして神を賛美しはじめた時
敵は撹乱されて同士討ちをはじめ、互いに滅ぼしあったのです
こうしてヨシャパテ王は戦わずして勝利を得たのでした
人生において大きな問題に直面すると
人は恐れて怖気づくものです
また、さまざまな問題と戦ううちには疲れ果て
やがてヤケを起こして
自分の大切な人生を
どうでもいいように思ってしまうことも少なくありません
このように冷静さを欠いた人は
どうやって自分を正しい方向へと導くことができるでしょうか
みことばに記されているように
自分に力がない戦いこそ、神の救いを見る機会です
ならば、ただ戦いの用意をして出て行けば良い
具体的にどうすればいいのかは
教会を通して、あるいは色々な形で教えられます
そして、勇気をもって踏み出していくために必要なのが信仰
”従う”ことは、すなわち”信じる”ことです
戦いの前にまず必要なのは神に祈り賛美することであり
わたしたちがさまざまな問題に直面する時には
常にこれが基本となりますが
各々がどれほど神を信じているのか
従おうとしているのか
その心は外見だけで計り知ることはできません
教会では
”神と共に歩む”とか”神に立つ”という言葉がよく使われます
しかし、これらの言葉には幅があって
牧師がそうあってほしいと願って語る信仰と
信者側それぞれの信仰には温度差があります
つまりは
おきての時代ではなく、恵みの時代の信仰においては
歩み方そのものに幅があって
導く者がなければ、自分流の信仰に流れて
ある人はただ安易な方向へ進んで崩れていき
またある人はわざわざ目の前にある神の恵みを自分の考えで捨て
苦しい道ばかりを選択する生き方をするのです
このように
人はしばしば両極端を歩もうとするもので
神の導きがなければちょうどいい所を選んで歩むことも難しく
自信過剰になったり、自暴自棄になったりしながら
平安のない日々をおくりがちです
「もしあなたがこのような方法で戦いに強くなろうと思うならば
神はあなたを敵の前に倒されるでしょう
神には助ける力があり、また倒す力があるからです」
(歴代志下25章8節)
アマジヤ王が戦いの際にお金でたくさんの勇士を雇った時
その行動が間違いであることを預言者は告げました
万物の想像主であり
すべてを助け、また倒す力を持つ神に寄り頼まず
お金と人力を頼ろうとしたアマジヤ王
それは信仰者であっても人間的な力や富を得た時おちいる道です
力も何も持たないわたしたちは、神に寄りすがり
これまで多く助けられてきました
しかし、ここで心が動き、人の力を当てにするようになると
神にあって人生に勝利する戦い方を忘れます
そして、神を見ず人を見て
人をおそれ、人の顔色をうかがって生きるうちに
やがて神の正しい導きも感じられなくなってしまうのです
「神のみこころに添うた悲しみは
悔いのない救いを得させる悔い改めに導き
この世の悲しみは死をきたらせる」
(コリント人への第二の手紙7章10節)
神を信じる人にも、そうでない人にも
同じように悲しみや苦しみがあるとしても
神を信じてあう悲しみは幸いへと続き
神を信じず、世の中の価値観を信じて生きる人の悲しみは
やがて死に至るものです
ならば、同じ悲しみを受けるにしても
神の救いを受ける悲しみの方がどんなにか幸いでしょうか
一生懸命やろうとしても
実際に頑張ってやっても
できないことは仕方ありませんから
その先は神におゆだねです
そうすることでまた神の助けを経験し
それがわたしたちの信仰の財産となっていくのです
ひとくちに「乏しい」といっても
何をもって乏しいというのでしょう
それが単にお金や物がないことをいうならば
対極にある「満たされている」ということも
ただお金や物があるだけではその心は決して満たされません
問題なのは心が乏しいこと
人を正しく導く神の言葉に飢えていることです
目先の目的を達成することで信仰が強まればいいのですが
上手くいくことで欲ばかりが増したのでは仕方ありません
そこには神に対する感謝がないため
信仰の進歩もないのです
今日まで生きてきたのはただ生きてきただけではなく
神の恵みが常にあるのだということを心にとめ
ぎりぎりのところまで追い込まれたとしても
神を信じ、希望を持って進みだしていきましょう
<目次