今週のみことば
2月13日
「彼らがきた時、サムエルはエリアブを見て
『自分の前にいるこの人こそ、主が油をそそがれる人だ』と思った
しかし主はサムエルに言われた
『顔かたちや身の丈を見てはならない
わたしはすでにその人を捨てた
わたしが見るところは人と異なる
人は外の顔かたちを見、主は心を見る』」
(サムエル記上16章6-7節)
神の前に罪を犯したサウル王に代わる新しい王に油を注ぐべく
サムエルは神の導きに従って
ベツレヘム人エッサイのところへ行きました
エッサイには8人の息子がおり
長男エリアブを見たサムエルは
彼の姿が立派だったので
この人こそ神が選んだ新しい王だと思いましたが
神の答えは違っていました
『人は外の顔かたちを見、主は心を見る』
結局
エッサイの息子たちは7人目に至るまで誰も選ばれることはなく
最後に残った少年ダビデが
王として油そそがれることになったのでした
その後、ダビデはサウル王に仕える者となり
ペリシテ人ゴリアテを剣ではなく、石投げと石で打ち倒します
『おまえは剣と槍と投げやりを持ってわたしに向かってくるが
わたしは万軍の主の名、すなわち
おまえがいどんだ、イスラエル軍の神の名によって
おまえに立ち向かう』
(サムエル記上17章45節)
神に選ばれ、神よりの力を得たダビデは
この戦いによってサウル王の信頼を得たばかりでなく
サウル王の子ヨナタンや家来たち、イスラエルの民ら
みんなから愛されるようになりました
しかし、このことはサウル王にとっては脅威であり
彼はその後ダビデの命を狙うようになります
かくして、神に選ばれながらも
サウル王に命を狙われて逃げるはめになったダビデですが
彼には常に神の助けがありました
また、途中サウル王の命を奪う機会がありながら
『彼は主が油そそがれた者であるから
彼に敵して、わたしの手をのべるのは良くない』と言い
従者たちにもサウル王を撃つことを許さなかったのです
そして、最後にサウル王は
ペリシテ人との戦いのさなか、自ら剣の上に伏して死にます
少年ダビデがサムエルから油そそがれ
実際に王として即位したのは30歳の時でした
エッサイの8人の息子たちのうちで
一番幼く、頼りないと思われた人を神は選ばれましたが
その後すぐに王位につけたのではなく
ダビデには王にふさわしい者として教育される期間がありました
『人は外の顔かたちを見、主は心を見る』
とのみことばのように
わたしたちが救いに与るにも
神はその外見ではなく、信じる心を見て選んでくださいました
そこから信仰生活はスタートするわけですが
その道のりの間にはさまざまな戦いがあり
そこでわたしたちが本当に神として信じているものが何なのか
この天地創造の真の神なのか
あるいは世の中のお金や名誉なのか
もしくは何か他の神々なのかが
問われる時がきます
ダビデはゴリアテと戦う際、剣や槍を用いず
神の名をもって挑んでいきました
お金や名誉を信じている人にはそれらが武器となりますが
信仰者には信仰者の武器、つまり神よりの力と知恵がある
このように、各々の武器が何なのかは
信じているものによって異なり
一度は真の神に寄り頼みながらも
結局は自分の欲や名誉のために神を捨て
自分の力で自分を養う水ためを掘ろうと苦労していく人もあります
しかし、その水ためには
自分を養ってくれる神の生きた水はないのでした
「その神を神ではない者に取り替えた国があろうか
ところが、わたしの民はその栄光を
益なきものと取り替えた
天よ、この事を知って驚け、おののけ、いたく恐れよ
と主は言われる
それはわたしの民が二つの悪しき事を行ったからである
すなわち生ける水の源であるわたしを捨てて
自分で水ためを掘った
それはこわれた水ためで
水を入れておくことのできないものだ」
(エレミヤ書2章11-13節)
「またイスラエルの望みである主よ
あなたを捨てる者はみな恥をかき
あなたを離れる者は土に名を記されます
それは生ける水の源である主を捨てたからです」
(エレミヤ書17章13節)
少年の時に油そそがれて
30歳で即位するまで
ダビデは神の導きに従い
時が来るのを待ち続けました
わたしたちの上にも
それぞれにふさわしい神の御旨の道があるわけですが
その時が来て事が成就するまで待てるかどうかが問題です
しかも、神を信頼し
起こってくる事態を受け入れながら待つことには
少なからず忍耐と努力を要します
「神を知らなかった当時
あなたがたは、本来神ならぬ神々の奴隷になっていた
しかし、今では神を知っているのに
否、むしろ神に知られているのに
どうして、あの無力で貧弱な、もろもろの霊力に逆戻りして
またもや、新たにその奴隷になろうとするのか」
(ガラテヤ人への手紙4章8-9節)
自分の思うように事が運ばないと
人はあせったり不安になったりするあまり
かえって神を離れようともする場合があります
それでまた世の中の価値観へと逆戻りしていくことは
せっかく自由になった身をまた奴隷にするようなものです
神の栄光ではなく、自分の栄光を求めて
自分を誇示することに一生懸命となり
感謝もなく、ただあせりと不安の中で
自らダメになっていくことがありませんように
どんな時もいよいよ神を信頼して寄りすがり
祈ってすべての戦いに勝利していきましょう
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