今週のみことば


3月6日


「それゆえ、これらのわたしの言葉を心と魂におさめ
またそれを手につけて、しるしとし、目の間において覚えとし
これを子どもたちに教え
家に座している時も、道を歩く時も
寝る時も、起きる時も、それについて語り
また家の入り口の柱と、門にそれを書き記さなければならない
そうすれば主が先祖たちに与えようと誓われた地に
あなたがたの住む日数およびあなたがたの子どもたちの住む日数は
天が地をおおう日数のように多いであろう」
「見よ、わたしは、きょう
あなたがたの前に、祝福とのろいとを置く
もし、きょう、わたしがあなたがたに命じるあなたがたの神
主の命令に聞き従うならば、祝福を受けるであろう」
(申命記11章18-21節、26-27節)

ここに記されている「祝福とのろい」について
言葉だけでは現実からはかけ離れた世界のように感じますが
これをルカによる福音書15章の『放蕩息子』の話にあてはめてみると
現実のわたしたちの生活に近い感じになります

父親の元で不自由のない生活を送っていた息子は
そこを出るともっと楽しい世界があると思って
財産を分けてもらって出て行きます
父の家を忘れ、自分の興味の向くまま放蕩する息子に
はじめは友達もついてきて楽しく暮らしますが
お金の切れ目が縁の切れ目で
貧しくなると誰も相手にしてくれなくなりました

息子にとっては、彼なりの考えがあり
楽しい生活がずっと続くと思っていたのかもしれませんが
人生は決して自分の思惑通りに進むものではなく
やがて予想外の展開を迎えます

しかし
人は本当に困った状況に追い込まれると
その人の本当の姿が出てきます
彼は元々正しい父親の教育を受けてきた人で
放蕩する姿が彼の本当の姿ではありませんでしたから
窮地に追い込まれることでかれは父親を思い出し
恥を忍んで父の元に帰ろうとします
それも息子としてではなく、使用人として
つまり、悔い改めて父のところへ帰っていくのでした
そして
帰ってきた息子を父は大喜びで迎えます
もちろん大切な息子として

ここでの父親は神のひな形
放蕩息子はわたしたちのひな形です

人それぞれ自分のあるべき所に置かれていますが
別の場所に何か楽しい世界があるような気がして
いつも他人を見てはうらやましく思っているかもしれません
もっとこうすれば自分は成功するかもしれない
人に認められるかもしれない
お金持ちになれるかもしれないと
色々思うこともあるでしょう
しかし、そこには落とし穴も待っています

聖歌『のぞみも消えゆくまでに』で
”数えてみよ主の恵み”と繰り返し歌うように
わたしたちの信仰生活の基本は
日々支えられてきたすべての恵みを忘れないこと
感謝していくことです

申命記のみことばでは
神の言葉を”心と魂”におさめるよう命じています
それも常に神のことを覚えておく努力をしなくてはならない
その書き方はとても極端な感じですが
そのくらいわたしたちは神の恵みを忘れて
すぐに別のものに目がいってしまいがちだということでしょう

さまざまなところで助けられながら今日があること
そして、その感謝をずっと心と魂に刻み続けていくならば
自ずと神の道から外れることはなく
自分の置かれたところで与えられた仕事に黙々と励み
それによって
自分も子孫も、ずっと神の恵みを得ていくことができる
派手さはなくても
それが恵みの道です

「もしあなたがたの神、主の声に聞き従うならば
このもろもろの祝福はあなたに臨み
あなたに及ぶであろう
あなたは町の内でも祝福され
畑でも祝福されるであろう
またあなたの身から生まれるもの、地に産する物
家畜の生むもの、すなわち牛の子、羊の子は祝福されるであろう
またあなたのかごと、こねばちは祝福されるであろう
あなたは、はいるにも祝福され、出るにも祝福されるであろう」
(申命記28章2-6節)


一方で、この続きの15節からは
神の言葉に聞き従わない場合のことが記されており
恵みか呪いかは
神の道に従うか否か
感謝するか忘れるか
今置かれたところで例え面白くなくても祈っていくのか
放蕩息子のようにどこかへ行ってしまうのか
自分で選んでいくことになるわけです

神の恵みは決して単発的なものではなく
人生全般に及ぶものです
もし宝くじが当たったとしても
それが幸せな人生につながるわけではありません
人生の先の先まで続いていく祝福を得るために
生き方をみことばに学んで
本当の平安をえていきましょう




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