今週のみことば


3月13日


「イエスは『おいでなさい』と言われたので
ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った
しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので
彼は叫んで『主よ、お助けください』と言った
イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた
『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』
ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった」
(マタイによる福音書14章29-31節)

子どもの持っていた5つのパンと2ひきの魚で
5千人もの群衆に食物を与えられた後
イエスは彼らを解散させる一方で
弟子たちを舟に乗り込ませて向こう岸に行かせました
その後、舟は岸からずいぶん離れたところで波に悩まされ
イエスはその波の上を歩いて舟に近づきます
その姿を見た弟子たちは非常に驚き
幽霊だと言って恐れました

しかし、その人がイエスであることがわかると
ペテロは自分も水の上を渡ってイエスのもとに行きたいと願い出ます
その結果彼は本当に水の上を歩くことができましたが
ふと風が強いことで恐ろしくなり、おぼれそうになりました

イエス御自身から『おいでなさい』と言われ
本当に水の上を歩いていたペテロですが
結局、風という不安材料を見つけて怖気づきます
疑わないうちは歩けたものを
次の瞬間には心が揺れておぼれかかってしまった
『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』
イエスがペテロを助け、舟に乗り込むと
風はやんでしまいました

神がわたしたちに通らせる道は決して無風の道ではありません
舟が揺れ、弟子たちが不安になったように
わたしたちもまた、日々さまざまな不安の中で試みられています

何か事が起きた時には
ただ恐れて騒ぐ人と、そこに神を見出して平安を得る人があります
よみがえりのイエスに出会ったマグダラのマリヤは
その事実を弟子たちに告げましたが
誰も信じようとしませんでした

マタイによる福音書9章において
12年間も血漏を患っている女性が
イエスの衣にさわりさえすれば癒されるとの一心で
その衣のふさにさわり、癒されたことが記されています

どんな状態でも希望をもって一心に神を求めるこの信仰こそ
わたしたちに常に求められているもの
これからどうなっていくのか何もわからないけれど
まだ見ていないものを信じて祈っていく姿勢は
わたしたちが変わるきっかけをつくります

人生は、何かが変われば自ずと変わっていくもので
一体わたしたちの何がどう変わるのかは
人それぞれ異なります
年をとった人の顔が再び若くなることはなくても
心が穏やかになれば顔も柔和になり
反対に心がすさんでいくと、顔もそのようになるでしょう

では、自分にとって良いことがあれば
それがすべて心を穏やかにするかと言えばそうでもなくて
幸いが転がり込んできたためにかえって傲慢になる人もあり
また、苦労のうちにも、神を見出して平安を得る人もあります

よく、病気になると、信仰していてもダメだと言う人がいますが
病気になったことがすなわち信仰の結果ではありません
生きているうちに起こることはみな途中経過に過ぎず
その人の人生がどうであったのかは
最後の時にわかることです

このように
人生は決して自分の思い通りにいくものではなくても
神と共に歩む人生であれば
どんな時にも必ず平安を与えられ
自分の進むべき道も教えられるものです

しかし
自分がこうしたから自分の人生はこうなるはずだと
すべては自分の思い通りになるべきとの考えが変わらなければ
そこには真の平安は与えられないでしょう
そういう人は人生に対して錯覚をおこしているのです

「そのような人はこの誓いの言葉を聞いても
心に自分を祝福して
『こころをかたくなにして歩んでもわたしには平安がある』
というであろう
そうすれば潤った者もかわいた者もひとしく滅びるであろう」
(申命記29章19節)


神を離れ、たとえ間違ったことをしていても
これでいいのだと自分を納得させるべく
都合よく脳内変換してしまう生き方は
やがて自らの滅びを招くものです

人間には
何がどうなることが自分にとって本当に良いことなのかが
なかなか自分ではわかりません
自分があるべき姿に変わっていくために何かを教えられる機会として
安息日を人生の道しるべの日とし
軌道修正しながら進んでいきましょう



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