今週のみことば


4月10日


「彼らはイエスに言った
『わたしたちが見てあなたを信じるために
どんなしるしを行って下さいますか
どんなことをして下さいますか
わたしたちの先祖は荒野でマナを食べました
それは”天よりのパンを彼らに与えて食べさせた”
と書いてあるとおりです』
そこでイエスは彼らに言われた
『よくよく言っておく
天からのパンをあなたがたに与えたのはモーセではない
天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは
わたしの父なのである
神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである』
彼らはイエスに言った
『主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい』
イエスは彼らに言われた
『わたしが命のパンである
わたしに来る者は決して飢えることがなく
わたしを信じる者は決してかわくことがない』」
(ヨハネによる福音書6章30−35節)

先日の復活祭の折
パンとぶどう汁を頂く聖餐式がもたれましたが
ここで用いられるパンとは、荒野で与えられたマナとは別のものです
マナは
神がイスラエル人たちをカナンの地に至るまで養うために
天より与えた食べ物でした
一方、聖餐式のパンは
イエスご自身の体をあらわし
ぶどう汁は、十字架上で流された血をあらわしています
「わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり
わたしもまたその人におる
生ける父がわたしをつかわされ、またわたしが父によって生きているように
わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう
天から下ってきたパンは
先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない
このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」(55−58節)

と記されているように
わたしたちがイエスを神と信じ、洗礼と聖霊による救いを受け
その後も
イエスご自身がわたしたちの内に居て
わたしたちを活かして下さる感謝を
聖餐を受けることで思い出し
いよいよ信仰を堅くしていく必要があるのです

つまり命のパンとは
単に目に見えるパンという意味ではなく
神であるイエスご自身のことを指していて
『神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである』
とあるように
この天よりの命のパンを受け入れることで
わたしたちは生きる希望を与えられていくのです

目に見えるものが豊かにあっても
人の心は飢え乾くものです
しかし、神を信じる者、神に来る者には
常に平安があります

「よくよくあなたがたに言っておく
わたしの言葉を聞いて
わたしをつかわされたかたを信じる者は
永遠の命を受け
またさばかれることがなく
死から命に移っているのである
よくよくあなたがたに言っておく
死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る
今すでに来ている
そして聞く人は生きるであろう」
(ヨハネによる福音書5章24−25節)


イエスが語られた言葉を色々読んでいると
それは理解しがたいような難しい話ではなく
実に単純なものであることに気づきます

「わたしに従いなさい」「わたしの言葉を聞きなさい」
「わたしに習いなさい」「わたしを受け入れなさい」

これらの言葉は単純ではありますが
あくまでも神(=イエス)を信じていることが前提ですから
信じない人には理解しがたい話かもしれません

「神はそのひとり子を賜ったほどに
世を愛してくださった
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで
永遠の命を得るためである
神が御子を世につかわされたのは
世をさばくためではなく
御子によって、この世が救われるためである
彼を信じる者はさばかれない
信じない者はすでにさばかれている
神のひとり子の名を信じることをしないからである」
(ヨハネによる福音書3章16−18節)


この世にあって、多くの人々は
これから社会が、自分の人生がどうなっていくのかと
あらゆる不安を抱いて生活しています
しかし
神を信じ、その言葉を、その救いを受け入れている者は
どういう状況にあっても平安が与えられ
必ず活かされていきます

「主はわたしのために、みこころをなしとげられる
主よ、あなたのいつくしみは
とこしえに絶えることがありません
あなたのみ手のわざを捨てないでください」
(詩篇138篇8節)


わたしたちの内にあって常にわたしたちを活かし
ひとりひとりにふさわしい道を歩ませ
最後まで守り導いてくださる神に感謝し
新しい週も希望と共に歩みだしていきましょう



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