今週のみことば
4月24日
「主はモーセに言われた
『わたしはイスラエルの人々のつぶやきを聞いた
彼らに言いなさい
”あなたがたは夕には肉を食べ、朝にはパンに飽き足りるであろう
そうしてわたしがあなたがたの神
主であることを知るであろう”と』」
出エジプト記16章11−12節)
エジプトを出て荒野を旅するイスラエルの民は
水や食物のために絶えず不平を言い
事あるごとにエジプトに居たほうがまだましだったと
常につぶやいていました
そんな彼らに対して神は
夕べにはうずらの肉を与え、朝になるとパンに代わるマナを与えます
マナについては、その集め方には規定があり
その決まりに従わない場合には
集めたものが腐ったり、あるいは足らなくなったりしました
「その時、主はモーセに言われた
『見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう
民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない
こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう」(4節4節)
その決まりごと(律法)は
各々毎日一オメルずつ集めること
翌日まで残さないこと
安息日の前日には2倍集めること、といった
誰にでも守れる単純なものでしたが
誰もが従ったわけではありませんでした
ある者は欲を起こしてたくさん集め、翌日まで持ち越そうとし
ある者は安息日の前日でも一日分しか集めず
こうして、彼らが神に従うのかどうかが
日々の行いを通して試されていったのです
この、神から毎日与えられるマナを集めることは
毎日神に対して感謝することにつながります
自らが労したわけでもないのに
日々確実に必要な糧が天より与えられるのです
それは大変なことでありますが
イスラエルの感謝は続きませんでした
「もしあなたが、この書物にしるされているこの律法のすべての言葉を守り行わず
あなたの神、主というこの栄えある恐るべき名を恐れないならば
主はあなたとその子孫の上に激しい災いを下されるであろう
その災いは厳しく、かつ久しく、その病気は重く、かつ久しいであろう
主はまたあなたが恐れた病気
すなわちエジプトのもろもろの病気を再び臨ませて
あなたの身につかせられるであろう」
(申命記28章58−60節)
この天地創造の唯一の神を恐れ、その言葉に従うという律法は
心が神に向いているならば
決して難しいことを要求されているわけではありませんでした
災いをもたらす元となるのは常に人の心から出るもので
自らが従わないことで、災いを呼び寄せているようなものなのです
ここに記された”エジプトのもろもろの病気”とは
単に体の病気をいうのみならず
エジプトの世の悪い習慣もあらわしていて
荒野での旅が辛いとすぐにエジプトを懐かしがるイスラエル人の
悪い習性を戒めているのでした
わたしたちは神によって救われ
恵まれた道を歩もうとしながらも
つい後ろを振り返り
世を懐かしみ
そこに何かもっと良いものがあったような錯覚を起こしがちです
人生には白黒つけなくてはならない場面が多々あり
そのたびに人は迷い
しばしば神を忘れてしまうのです
このように
神の業(助け)というものを一時的なものとしかとらえられない習性は
一種の病気のようなもので
さまざまな迷いのうちにある間は
病気からも開放されないのでした
この世に生まれたわたしたちにとって
人生は本当は楽しいもののはずなのです
それを、自分の考えに固執し、意固地になって
わざわざ不幸な道を選択してしまう人もあります
神を恐れ、その言葉に従う人生とは
そういう間違いが軌道修正られ
自分に与えられるべき楽しみをもっと引き出してもらえるもので
決して堅苦しい生き方ではないのです
信仰生活というと
何かとても狭い道を窮屈な思いをしながら歩むものだと
勘違いしている人もありますが
それぞれ与えられた人生の中で
許容範囲の中で最大限に楽しく
平安に生きる道を模索するのが信仰生活です
自分はああなるべきこうなるべきと
ただ理想ばかりを追い求めることなく
すべてを神におまかせして
毎日与えられるマナ(神の業)に感謝しつつ
日々を過ごしていきましょう
神はわたしたちを
色んな角度から常に見ておられます
それは隠しようもない、心の中まで見透かされるもので
生活も行動も道徳観念も金銭感覚も
すべてにわたって病気(間違い)があるなら癒され(正され)ていくように
さまざまな試みが与えられます
正直に自分の心を省み
せっかく与えられた楽しみを自ら拒否することなく
人生から神にあって楽しいものが最大限に引き出されますように
一日一日を大切に歩んでいくことができますように
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