今週のみことば


5月8日


「わたしにつながっていなさい
そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう
枝がぶどうの木につながっていなければ
自分だけでは実を結ぶことができないように
あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である
もし人がわたしにつながっており
またわたしがその人とつながっておれば
その人は実を豊かに結ぶようになる
わたしから離れては
あなたがたは何ひとつできないからである」
(ヨハネによる福音書15章4-5節)

洗礼と聖霊によって救われたクリスチャンは
ぶどうの木につながる枝のように
イエスに習う者として、イエスご自身につながりました
そして、ずっとそこから離れないでいれば
やがてその人にふさわしい実を結ぶようになりますが
救われてもなお自分の価値観や世の中の因習にとらわれていると
なかなか実を結ぶことができません

「”彼におる”と言う者は
彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである」
(ヨハネの第一の手紙2章6節)


”イエスに居る””つながっている”とは
己を捨ててイエスに従うということで
聖書にはわたしたちがどう生きるべきか
イエスご自身の歩みを通してそこに模範が記されているのです

「あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである
キリストも、あなたがたのために苦しみを受け
御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである」
(ペテロの第一の手紙2章21節)


人生にあって、”祝された人”とは
状況状態によって左右されない人です
人は何かあればすぐに不安になったり迷ったりするものですが
常に神につながっている人は心が安定しており
試練を通して成長していける人です

自分の歩みを振り返った時
人生を共に歩んでくださる方
困ったときに知恵を与えてくださる方があるかどうかが
非常に重要なポイントだとわかってきます

自分は例え知恵の欠けた者であっても
内なる聖霊が働いてくだされば
何が正しいことかがわかるので
結果的に正しく歩んでいけるわけです

信仰生活の中には
これは神さまだ!と思う瞬間があり
こうして大切なものを見つけたなら
それを全力で守っていきましょう

人間にも色んな人が居ますから
人によってはいつも利用されてばかり
損をするばかりの人もあります
人をだましたり利用したりする人は
結局自分の人生が途中でダメになっていきますが
だまされる人もまた
自分はその程度の者なのだと悟るべきでしょう
ですから
たとえだまされたり利用されたりしたとしても
それで単に人を恨んだり、卑屈になるのではなく
これからは神の知恵を持って正しく歩むのだと
心新たに教えられていけば良いのです

イエスに従う道は
それぞれに与えられた十字架(試練)を背負いつつ
みことばを通し、教会を通して
それぞれが知恵を与えられて正しく生きる道です

わたしたちはみな神の畑
かたい豆でも畑にまかれると芽が出るように
わたしたちの心にも”みことば”という種が蒔かれ
畑(心)の条件に応じて種は芽を出し生長します

常に種が生長しやすいように
妨げとなる雑草を取り除き
心を素直にし、柔らかく耕していきましょう



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