今週のみことば
6月12日
「しかし、わたしは主を仰ぎ見、わが救いの神を待つ
わが神はわたしの願いを聞かれる
わが敵よ、わたしについて喜ぶな
たといわたしが倒れるとも起きあがる
たといわたしが暗闇の中にすわるとも
主はわが光となられる」
(ミカ書7章7-8節)
わたしたちの上にひとたび問題が起こると
たちまちは困った困ったと悩んだり恐れたりするわけですが
今までのことを振り返ってみる時に
確かに問題は起きているけれど
その起こるタイミングが良いために
結局は何とかなってきたと後で気づかされることがあります
問題が起これば自然と神に祈り
そこに知恵や力といった神の光があたえられます
その繰り返しのうちには
やがてどんなことが起きても必ず助けられると
確かな証をつかんでいき
そして信仰が成長していくわけです
先週は、エリコに住むラハブの話を通して
異邦の民であり、職業も卑しめられるものであった彼女でも
心から神を恐れていたがゆえに
最終的にどのような幸いを得たかを学びました
昔イスラエルの民がエジプトを出てから荒野を旅し
やがてカナンの地へと入ってきたいきさつを聞いていたラハブは
それらは単に人づてに聞いた話、いわゆる噂のようなものであっても
その中から神の業を見出します
それが彼女の人生の分かれ道となりました
世の中にあっても、人づての「うわさ」には
正しいものと間違っているもの、良いものと悪いものがあって
そこで正しい判断ができるかどうかが
その後の人生を左右することはよくあります
たとえば、「教会」と聞いただけで
”宗教なんてみんな怪しい”とのうわさを信じれば
その人は教会に足を運ぶこともなく
神の業を見ることもないでしょう
ところが、同じく宗教というくくりであっても
何かすぐに病気が治るなどの魅力的な噂を聞けば
ちょっと行ってみたくなるかもしれません
また、マルチ商法にだまされる人などは
”もうかる”といううわさを信じて
自ら間違った道に歩んでいるわけです
あるいは、世の中にあってまじめに正しく生きていると思うのに
何か融通がきかず、人からだまされやすく
結果的に人生がダメになっていく人もあります
こういう人に欠けているのは生きる知恵
そして、その知恵を与えてくださる方が神さまなのです
民数記13章において
はじめてカナンの地にたどりついた時、モーセはその地に偵察隊をおくります
そして、その地に住んでいる民の様子や、環境等を探らせましたが
彼らが帰ってきて報告をする際
ヨシュアとカルブ以外はその地のことを悪く報告したので
イスラエルの民は大いに動揺しました
カナンの地は、確かに豊かな地ではあるけれど
そこには大きな種族が住んでいて
人間的に考えて彼らにはとても勝てないと判断したわけです
しかし、それは単に見ただけで、実際に戦ったわけではありません
きっと負けるに違いないとの話を民は信じて動揺したのです
このことが元で
結局彼らはその後40年もの間、荒野をさまようことになりました
心に神への信頼、信仰が育っていないと
本当は何でもない問題でも、とてつもなく大きく思えるものです
そのため無意味に恐れあわてるところに
いよいよサタンがつけこんで混乱させられてしまうわけで
わたしたちはそうならないように心していかなくてはなりません
「あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる
『わたしはあなたの神、主である
わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え
あなたを導いて、その行くべき道に行かせる
どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように
そうすれば、あなたの平安は川のように
あなたの義は海の波のようになり、あなたのすえは砂のように
あなたの子孫は砂粒のようになって
その名はわが前から断たれることなく、滅ぼされることはない』」
(イザヤ書48章17-19節)
常にわたしたちを幸いな道へと導こうとしてくださっている神を信頼し
何が正しくて何が間違っているのかを把握できるように
神よりの知恵と力を与えられて
日々の困難を乗り越えていきましょう
神の道は必ず幸いになる道です
<目次