今週のみことば


6月26日


「さて、イエスはそこから進んで行かれ
マタイという人が収税所にすわっているのを見て
『わたしに従ってきなさい』と言われた
すると彼は立ち上がって、イエスに従った」
(マタイによる福音書9章9節)


この9章は
まず中風の者がイエスのもとに連れてこられる記述から始まります
彼を床に寝かせたままでつれてきた人々の信仰心を見て
イエスはこの病人を癒します
しかし、律法学者たちは
イエスが病人に対して『あなたの罪は許されたのだ』と言ったのを聞いて
心の中で『この人は神を汚している』と思いました
その心をイエスはご存知でしたから
律法学者たちに対して苦言を呈した後
病人に対して『起きよ、床を取りあげて家に帰れ』と命じ
彼は本当に起き上がって家に帰っていったのです

ここには、救いを求めてイエスの元にやってきた人々
イエスが奇跡の業を行うのが面白くない人々
その奇跡を見て神をあがめた人々が登場します
そして
それぞれの心の中はみな見られていて
心から神の救いを求める者が幸いを得ることが教えられます

神の救いに難しい理屈はありませんから
『わたしに従ってきなさい』とイエスより声をかけられたマタイも
あれこれ思い巡らすことなく素直についていったのでしょう

”従う”ことは常に信仰の基本
ただ「信じています」「お祈りします」というだけで
その先に”従う”という行動が伴わなければ
信仰に進歩がありません
”従う”とは、それぞれが自分のなすべきことをなすこと
今自分が置かれているところで
問題があっても、面白くなくても、辛くても
この先必ず幸いになると信じて前へ進もうとすることです

こうして神に希望を置いて進むうち
やがて、富や名誉よりももっと大切なものがあることに気づいたなら
その人は本当の意味で強くなり
いよいよ神に従っていくようになるでしょう

「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ
神はこのように装って下さるのなら
あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか
ああ、信仰の薄い者たちよ
だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかといって思いわずらうな
これらのものはみな異邦人が切に求めているものである
あなたがたの天の父は、これらのものが
ことごとくあなたがたに必要であることをご存知である
まず神の国と神の義を求めなさい
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう
だから、あすのことを思うわずらうな
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう
一日の苦労は、その一日だけで十分である」
(マタイによる福音書6章30-34節)


このみことばの意味がわからなければ
結局信仰とは何かがわからないままです
みことばに対して「わたしはこう思う」とか「思いたい」ではなく
ちょうどイエスの言葉に従ってついていったマタイのように
ただ素直に受け入れていくことが大切なのです

人生なんて苦しい事ばかりという人もありますが
実際はそうではなく
悩みのない人生もない代わりに
悩みの時に助けてくださる神があります
どんな時にも神を求め、崇めていく人は強くなり
悩みや苦しみもいつの間にか取り去られていくでしょう

その時、どのように神を感じ
神の存在に気づいていけるかによって
その後の信仰生活も変わります
いくら神の助けを経験してもすぐに忘れる人もありますが
願わくば、感謝を忘れない人になっていきますように

人生には競争がつきものですが
神にある人は、華やかさはなくても負けではありません
生きるために本当に必要なのは
神の知恵と、神よりくる大きく豊かな心
知恵がなければひとりひとりの力も生きてきませんし
知恵のない愚かな発言はその人をいよいよ愚かにします

人生の転機はいつ起こるかわかりません
モーセは、出エジプトという厳しい道を通らされ
そこで神の知恵を得て、神の言葉に従って幸いに導かれました
わたしたちの人生もまた同じです
愚かで小さな者を救い、恵まれた人生を歩ませてくださる神を信じ
厳しい中でも神に望みを置いて歩んでいきましょう



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